1980年代のNintendo of Americaの知られざる苦闘が明らかに! 「バスルームにヘビとネズミ」「深夜2時のCM枠」からスタートした『NES』の軌跡
2026年07月18日 | #ゲーム #発売 | GamesRadar+
1980年代、Nintendo of America(NOA)は、現在の盤石な地位からは想像もできないほど、厳しい状況に置かれていたことが明らかになりました。ファミリーコンピュータが日本では成功を収めていたものの、北米市場でのNintendo Entertainment System(NES)のローンチは、アタリショックの余波もあり、決して順風満帆ではなかったようです。当時のNOAの社員たちが語るエピソードからは、予算の制約や劣悪なオフィス環境など、その苦闘ぶりが垣間見えます。
劣悪なオフィス環境と予算をやり繰りした広告戦略
当時のNOAは、本社がワシントン州シアトルにありましたが、ニューヨーク市でのテストローンチをサポートするため、ニュージャージー州ハッケンサックの倉庫を拠点としていたそうです。この倉庫は劣悪な環境で、当時の広告マネージャーだったゲイル・ティルデン氏によると、「バスルームにはヘビやネズミがいた」と証言しています。営業担当副社長だったブルース・ロウリー氏によれば、ヘビは毒のないガーターヘビだったとのことですが、社員が日常的にそのような環境で働いていたことは驚きです。また、広告予算も厳しく、NOAは「バーター広告」という手法を活用していました。これは、広告費を払う代わりに、相手に何らかの便宜を図ってもらうというもので、例えばトイザらスとの間では、トイザラスが所有する広告代理店に広告費を投じる代わりに、自社の製品を置いてもらうといった交渉を行っていたとのことです。
午前2時のCM枠からプライムタイムへ
さらにロウリー氏は、テレビCMの放映時間にも苦労したと語っています。当初、NESのCMは深夜2時という、ほとんど誰も見ていない時間帯に流されていたそうです。そこでロウリー氏は、ABCのニューヨーク支局WABCに直談判に向かいます。ゲームカートリッジを手に交渉に臨んだロウリー氏は、たまたま局の幹部と出会い、彼にNESのゲームを渡して「お子さんに試させてみてほしい」と依頼しました。この幹部がNESを気に入り、さらに友人のためにもゲーム機を求めた結果、NOAはより多くのゲーム機を提供し、その代わりとしてCM枠が夜11時に移動したとのことです。さらにその後、偶然にも月曜夜のNFLの試合中継中に、地域のローカルCM枠でNESのCMが流れるという幸運に恵まれ、これがNESの知名度を一気に高めるきっかけになったとロウリー氏は語っています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 初代NESの米国でのテストローンチ | 1985年 |