『メタルギア ソリッド 4』はなぜ再評価されるべきなのか、長らくプレイできなかった名作の功績を振り返る
『メタルギア ソリッド 4』は、発売から長らくPS3でしかプレイできない状況が続いていましたが、今回のMaster Collection Vol.2に収録されたことで、多くのプレイヤーが再び本作を体験できるようになりました。本作は商業的・批評的な成功を収めたにもかかわらず、シリーズ最高傑作として語られることは少ないですが、その評価は公平なものだったのか、そして現代のゲーム体験にどのような影響を与えたのかを考察します。
小島監督が望まなかった「終わり」
小島秀夫監督は『メタルギア ソリッド 2』の時点でシリーズ終了を望み、『メタルギア ソリッド 3 スネークイーター』の後も「これで終わり」と公言していました。しかし、彼の行動は言葉とは裏腹に、シリーズへの強い思い入れを示していました。一方で『メタルギア ソリッド 4』は、これまでの作品とは異なる陰鬱な雰囲気を持ち、まるで葬儀のような重苦しさが漂っています。
本作の主人公である老いたスネークは、かつての自信に満ちた超兵士とは異なり、弱々しく、まさに朽ち果てていく存在として描かれています。これは、物語を無理に続けることへの監督の抵抗の表れとも言えるでしょう。しかし、現代のメディアが神話を商業的に維持し、続編の余地を残す傾向にある中で、小島監督は『メタルギア ソリッド 4』で自身のライフワークに「安楽死」を施すかのように、物語を完結させました。これは、一切の妥協を許さない、監督自身の言葉で言えば「爆発的な正直さ」に満ちた壮大な叙事詩であり、彼がこのようなゲームを作るのはこれが最後となりました。
変化した「メタルギア」のゲームプレイ
『メタルギア ソリッド 4』は、それまでのシリーズと同様に、リニアで映画的なアクションアドベンチャーとして構成されています。しかし、その物語は奇妙なほどエピソード的で、5つのACTそれぞれが異なるジャンルのように感じられます。戦場を這いずり回ったかと思えば、次の瞬間には東ヨーロッパの街をトレンチコートで忍び歩くといった具合に、新しいアイデアが次々と導入され、すぐに次の展開へと移っていきます。
本作では、派閥の忠誠度システムや敵の感情を操作するメカニクスなど、多くの新要素が導入されましたが、その多くは物語の途中で重要性が薄れたり、New Game Plusでなければ真価を発揮しなかったりします。70種類もの銃が登場するものの、その多くは蛇足に感じられ、常に表示されるサイコメーターも、特定のコミカルな場面を除けばすぐに意識から消えてしまいます。まるで小島監督が、これが最後のチャンスであるかのように、残された「メタルギア」のアイデアをすべて詰め込んだかのようです。
小島監督のハリウッド的な野心は本作で暴走し、冗長なムービーの連続は時に苦痛を伴います。しかし、ストーリーとゲームメカニクスが融合した、胃が締め付けられるような緊迫感のある場面は、本作の大きな魅力です。特に、マイクロ波の通路を這い進むスネークの絶望感は、プレイヤー自身の苦痛と一体化するような体験をもたらしました。
一方で、小島監督がPS3の制約に不満を抱き、携帯機向けに開発した『メタルギア ソリッド ピースウォーカー』以降、シリーズのゲームプレイは大きく変化しました。この作品は、メニューから選択する短時間のステルスミッションや、モンスターハンターから着想を得た基地建設、RPGシステムなどを採用し、プレイヤーを継続的に引きつける仕組みを取り入れました。小島監督はこのフォーミュラを気に入り、『メタルギア ソリッド V』やデス・ストランディングにも同様の骨格を採用しています。しかし、このメニュー駆動型のゲームプレイは、プレイヤーとスネークの間に距離を生み、かつて『メタルギア ソリッド 4』で感じられたような、キャラクターとの親密な一体感を失わせてしまいました。
長らくプレイできなかった名作の再評価
『メタルギア ソリッド 4』は長年、PS3という古いハードウェアに閉じ込められ、多くのプレイヤーがプレイできない状況が続いていました。PS3のCellプロセッサは開発が困難で、他のプラットフォームへの移植も悪夢のような作業だったため、エミュレーションも困難を極めました。また、作中に登場するソニー製品や、ユニクロ、アップル、プレイボーイといった企業のライセンス問題も、移植を阻む要因となっていました。
長らくゲーム事業から距離を置いていたコナミが、近年再びゲーム開発に注力し始めたことで、ようやく本作はMaster Collection Vol.2に収録され、多くのプレイヤーが体験できるようになりました。しかし、現代の基準から見ると、『メタルギア ソリッド 4』は非常に不親切なゲームであり、カットシーンの長さは常軌を逸しています。小島監督は「映画を作りたがっている」という批判をよく受けますが、9時間にも及ぶ映画で、ほとんどが静止画の無線通信で構成され、少女たちの前で人々がナノマシンや感染症について泣きながらソーダを飲んだりタバコを吸ったりするシーンが延々と続くような作品は、映画とは呼べません。本作は、決して新規プレイヤー向けに作られたものではありません。
『メタルギア ソリッド 4』は、シリーズ初期の3作品と並び称されることは少なく、その功績が語られることも稀です。長らくプレイできなかったこともあり、その評判は「不快なカットシーンの連続」というイメージに凝り固まっていました。しかし、現代のゲーム業界が安全策を取り、画一的な作品が増える中で、本作のような「乱雑で、詰め込みすぎで、時に恥ずかしい」が「決して無関心ではない」作品は、再評価されるべきです。