『Garfield: Escape From Monday』は子どもには魅力的でも大人には物足りない3Dアクション
『Garfield: Escape From Monday』は、ガーフィールドのキャラクターが勢ぞろいする一方で、3Dプラットフォーマーとしては新鮮味に乏しい作品です。原文筆者は本作を、ゲームとしての完成度では厳しく批判しながら、子どもの頃にガーフィールドを愛していた自分なら楽しめたかもしれない、という複雑な視点からレビューしています。作品の評価を分けたのは、ゲームデザインの出来よりも、画面に好きなキャラクターが登場すること自体を喜べるかどうかでした。
大人には平凡でも、子どもには「好きなもの」が詰まった作品
原文筆者は、本作について簡単に酷評することもできたとしています。低予算の3Dプラットフォーマーであり、特筆すべき設計はほとんどなく、既存のジャンル要素をガーフィールドのキャラクターで飾っただけに見えるためです。走る、ジャンプする、空中ダッシュする、ステージ内のアイテムを集めるといった基本要素は揃っていますが、それ以上にプレイヤーを驚かせる仕組みは少ないとのことです。
ただし、原文筆者はそこで評価を終わらせませんでした。子どもの頃には公式ガーフィールド・ファンクラブに入会し、関連グッズを大量に持ち、ガーフィールドが画面に出てくるだけで楽しめた経験があったからです。そこでレビューでは、現在の自分が作品を評価するのではなく、4年生だった頃の自分に本作を遊ばせるという形式を取りました。
作中では、ガーフィールドが夢の世界に迷い込み、Chef Mondayという敵対者から逃げながら進みます。Chef Mondayは、ガーフィールドに野菜ラザニアを食べさせようとし、野菜をモチーフにした手下を送り込んできます。子どもの頃の視点では、食べ物の姿をした敵、雲やパンの上を飛び跳ねるステージ、夢の中で展開される奇妙な世界そのものが楽しい要素として受け止められています。
ステージには、キャンディーやジャンクフードで構成された世界、列車に乗れる西部劇風の世界などが登場します。ガーフィールドにとっては食べ物に囲まれた楽園にも見えますが、同時に敵に追われる悪夢のような場所でもあります。原文筆者は、月曜日が存在しない世界まで登場するため、夢が良いものなのか悪いものなのか、物語の内部ルールが曖昧だと指摘しています。一方で、子どもの頃の視点から見れば、夢なのだから何でも起こるという納得で済ませられる範囲でもあります。
作品の土台は古典的で、独自性に乏しい
本作のアクションは、ジャンプを中心に、転がって高速移動する動作や空中を飛ぶ能力を組み合わせる構成です。壁と壁の間を跳ぶ場面など、難しく感じられる箇所もありますが、全体としてはかなり簡単で、ほとんど自動操縦のように進められると原文筆者は評しています。40以上のステージを進みながら、さまざまな収集物を集める内容ですが、プレイヤーの行動に大きな判断を求める場面は多くありません。
ステージの仕掛けも、ジャンルでおなじみの要素が中心です。トロッコに乗る区間や、足場を反転させる仕掛けなどは用意されていますが、マリオなどの既存作品から連想できる仕組みが多く、キャラクターの移動能力を活かした独自のレベル設計には乏しいとされています。原文筆者は、こうした構成を「ビデオゲームのホワイトノイズ」と表現し、プレイしていても強い印象が残りにくいと批判しています。
変身をともなうパワーアップも登場します。ガーフィールドは七面鳥の姿になり、翼を使ってより長くジャンプできるようになります。別の世界では人魚になり、水上をサーフィンする場面もあります。さらに、カウボーイ姿の能力は、終盤のステージでグラップリングフックのように機能します。
子どもの頃の視点では、これらの変身はそれぞれ見た目の変化が楽しく、能力によって移動方法が変わることも魅力になります。しかし原文筆者は、大人の視点から見ると、七面鳥は滞空時間を延ばすだけ、人魚はレールグラインドを導入するための手段、カウボーイはグラップリングフックに置き換えられる程度の仕組みにすぎないと見ています。アイデアが一面的で、発展させられていないという評価です。
チャレンジステージも通常ステージと大きく異なるわけではなく、ボス戦も敵の攻撃パターンを避け、攻撃可能なタイミングで反撃する流れを繰り返します。Jonの家に家具を飾れる要素もありますが、原文筆者はこれを含めて、作品全体に「最低限」の設計しか見られないとしています。過去のガーフィールド作品Garfield: Caught in the Actには、車の上を移動しながら進むノワール風の「Catsablanca」ステージがあり、そこには独自の雰囲気や創造性があったという比較も示されています。
キャラクターの存在感が、ゲームの弱点を補う
ゲームシステムへの批判とは対照的に、子どもの頃の視点では、好きなキャラクターが登場することが最大の魅力になります。本作にはガーフィールドだけでなく、NermalやArlene、Odie、Lizなども登場します。原文筆者がゲームの良い点を挙げるよう求めた際、子どもの頃の自分が最初に答えたのはOdieでした。理由は単純で、画面にOdieが映るとうれしいからです。
この反応は、原文筆者が本作を見直すきっかけになっています。大人の視点からは、ユーモアがJim Davisの乾いた機知を再現しておらず、ゲームの中にいることを利用したメタジョークに偏っていると感じられます。しかも、ガーフィールドは夢の中にいる設定なのに、ゲームの中にいることを前提とした冗談が使われるため、演出の方向性にも一貫性がないと指摘されています。
ガーフィールドの声についても、原文筆者は厳しい見方を示しています。1980年代から1990年代に親しまれたLorenzo Musicの気だるい話し方とは大きく異なり、吸血鬼の手下のように聞こえるという批判です。対して子どもの頃の視点では、その声自体が面白く、Nermalを蹴る場面のような単純なギャグも楽しめます。コミックでガーフィールドがNermalをアブダビへ送りつける場面を好んでいたという反応もあり、キャラクターへの愛着が作品の細部への評価を大きく左右しています。
原文筆者は、過去のキャラクターゲームには、ライセンス商品としてキャラクターを置くだけではない創造性があったと振り返っています。本作の3Dアートは、ほかのアニメ原作ゲームと見分けがつきにくいと批判されました。それでもArleneやLizを画面で見た瞬間には、昔からの友人に再会したような気持ちになったとのことです。ガーフィールドの人形や、今も使い続けている古い目覚まし時計を思い出し、キャラクターが持つ記憶の力を再認識しています。
ノスタルジーだけでは高評価にならない
原文筆者は、本作が大人向けの優れた3Dプラットフォーマーだとは認めていません。ノスタルジーがあっても、Control Resonantより優先して遊ぶ価値のある作品だとは思えないとしています。プレイの手応え、レベル設計、ユーモア、ビジュアルのいずれにも、ジャンルを押し広げるような要素は見当たらないという評価です。
一方で、子どもの頃の自分なら、本作を何年もお気に入りとして語り続けた可能性が高いとも述べています。子どもは、自分が好きなものを批評的に距離を置いて見るのではなく、好きだという気持ちをそのまま強く受け止めます。姪がWickedを1年間話題にし続け、その後はThe Brady Bunchの出演者を覚えるほど夢中になったという例を挙げ、作品の完成度とは別に、子どもが何かを好きになる力を説明しています。
記事の終盤では、ガーフィールドが今でも幸せな気持ちを与えてくれるのかという問いが投げかけられます。原文筆者は、子どもの頃と同じ形ではないものの、完全に失われたわけではないと答えています。戦争、ファシズム、経済など、年齢を重ねるほど意識せざるを得ない問題が増え、世界が広がるにつれて疲弊しやすくなる。それでも、好きだったキャラクターを見て少し気持ちが明るくなる瞬間は残っている、という結論です。
本作は、革新的なアクションゲームを求める大人には勧めにくい一方、ガーフィールドの姿を見られるだけでうれしい子どもには、十分な入り口になり得ます。作品そのものへの評価は低くても、原文筆者は、かつての自分のような子どもが本作を心から楽しむ可能性まで否定してはいません。なお、本作は2026年9月24日にNintendo Switch、PS5、Windows PC、Xbox Series X向けに発売予定です。レビューにはMicroidsから提供された発売前コードが使われ、Nintendo Switch 2版で確認されています。