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『Virtue and a Sledgehammer』破壊の快感を神経科学者が解説

2026年09月11日 | #ゲーム紹介 | Polygon

『Virtue and a Sledgehammer』破壊の快感を神経科学者が解説

破壊をテーマにした新作ゲームが、なぜ物を壊すと気持ちよく感じるのかという疑問を、神経科学の観点から浮かび上がらせています。DeconstructeamとSelkie Harborが開発し、Devolver Digitalが販売する本作では、主人公が故郷の廃墟と、そこに残された記憶を宿すロボットたちをハンマーで破壊していきます。原文筆者は実際にニューヨークの「怒りの部屋」で物を壊す体験を行い、専門家への取材を通じて、その快感が単純な怒りの発散ではないと紹介しています。

故郷をハンマーで壊す物語

『Virtue and a Sledgehammer』の主人公は、スペインの田園地帯にある故郷を破壊するために戻ってきた女性、Pratelleです。彼女が手にするのは、本人いわく「20ポンドの物理メディア」だけ。かつて暮らしていた場所には、住民たちの記憶をアップロードされた、立方体の頭部を持つロボットが残されています。

ロボットたちは、Pratelleの帰還を恐れながら迎えるものもいれば、敵意をむき出しにするものもいます。しかし反応がどうであれ、彼女はハンマーを振るいます。母親や姉にまつわる記憶は、深い愛情だけでなく、裏切りや怒り、後悔とも結びついており、故郷を壊す行為そのものが彼女の複雑な感情を表現する仕組みになっています。

画面には血を思わせる強い赤や鮮やかな緑が配され、デジタル音響が緊張感のある心理状態を演出します。舞台となるのは、角張ったローポリゴンの建物が並ぶ敵対的な空間です。Pratelleは建物から建物へ、勢いのまま突き進むように動き、肌の温かい色合いと力強い動作が、彼女の前をおびえたように走る灰色の自動人形と対照をなしています。

原文筆者は、作品内で描かれる破壊を現実の体験と比較するため、マンハッタンのローワー・イースト・サイドにある破壊体験施設を訪れています。最初は皿を壁に投げつけたものの、皿は大きく壊れないまま跳ね返ってきました。その後、アルミ製の野球バットを使ってLEDテレビを叩くと、画面を突き破り、内部のプラスチック層を抜けて背面の金属部分に達するほど破壊できたといいます。わずか30分の体験で汗だくになり、原文筆者は強い高揚感を覚えたと記しています。

「怒りを出せば楽になる」は科学的に正しくない

この体験について話を聞いたのは、カリフォルニア州ラホヤにあるソーク研究所の博士研究員で、情動神経科学者のEric Leonardis氏です。Leonardis氏によれば、物を壊すと気持ちよく感じる理由は複数ありますが、一般に想像される「怒りを外へ出せば、あとで怒らなくなる」という説明は科学的に支持されていません。

怒りを殴る行為などで発散すれば、感情が浄化されて落ち着くというカタルシスの考え方は、研究によって否定されているとのことです。Leonardis氏は、パンチングバッグを叩く、走るといった身体活動で怒りを和らげようとした研究を含む154件の研究を分析したメタ分析に言及しています。そこでは、怒りを抱えたまま身体を動かすことで、かえって攻撃的な行動が増え、本人が感じる怒りも強くなる傾向が示されたとしています。

背景にあるのが「興奮の転移」です。心拍数が上がり、身体がストレス状態にあると、人はその反応が何によって起きているのかを正確に切り分けにくくなります。怒りを思い返しながら身体を激しく動かすと、運動による高い覚醒状態が怒りと結びつき、感情が収まるどころか持続する可能性があります。したがって、現実の怒りやトラウマを解決する方法として、単に物を殴ることを勧められるわけではありません。

一方で、破壊行為がまったく無意味というわけでもありません。自分と直接関係のない物を壊しても、悲しみや怒りそのものが消えるとは限りませんが、身体を使って対象に力を加えることで、脳内では快感と関係する複数の物質が放出されます。Leonardis氏は、その感覚について「ランナーズハイに関係するエンドカンナビノイド、脳内で作られるモルヒネともいえる内因性オピオイド、報酬に関係するドーパミン、気分を調整するセロトニンが関わります」と説明しています。

エンドカンナビノイドは、走ったあとに生じる高揚感にも関係します。内因性オピオイドは下垂体や視床下部を通じて放出され、ドーパミンは腹側被蓋野や線条体など、報酬処理に関わる脳の領域で働きます。運動や破壊のあとに心地よさを覚えると、その行動は脳によって報酬として学習され、再び同じ行為をしたいという動機につながります。さらに、力を込めて物を壊すとセロトニンも放出され、気分の変化に影響するとされています。

破壊は無力感に対抗する行為にもなる

本作で描かれるのは、関係のない物を壊すだけの破壊ではありません。Pratelleが壊すのは、自分の過去や死者の記憶と結びついた故郷です。Leonardis氏は、悲劇や死に直面したとき、意味を持つ物を意図的に壊す儀式が世界各地で行われてきたと指摘し、マヤ文明やアメリカ南西部の先住民文化を例に挙げています。

そうした儀式では、亡くなった人が使っていた器や陶器を壊し、再利用できないように穴を開けたうえで、埋葬の際に遺体の顔の上へ置くことがあったといいます。死者が来世で必要とするかもしれない物を、生者が使い続けないようにするためです。対象に意味があるからこそ、それを壊す行為は単なる損壊ではなく、死や喪失に対して自分が何らかの決定を下す行為になります。

Leonardis氏によれば、こうした破壊は、自分ではどうにもできない状況に対して、主導権や行動する力を取り戻そうとするものです。意味のある物を壊すことには象徴的な価値が生まれ、その後に現実を受け入れる助けになる場合もあるとしています。故郷を焼け落ちるまま見届けるのではなく、自分の手でハンマーを振るうPratelleの姿は、この「自分で状況を動かす」感覚と重なります。

主導権を握っているという感覚は、感情だけでなく肉体的な痛みの感じ方にも影響します。Leonardis氏が説明した「コントロールの錯覚」に関する研究では、電気ショックを別の人から与えられる場合、発汗や皮膚コンダクタンスなどの生理的ストレス反応が高くなりました。しかし、自分がショックを与えるタイミングなどを制御できると伝えられた場合、被験者は感じる痛みをより小さく報告したといいます。

この研究は、刺激そのものが変わらなくても、状況を制御できると思えるだけで苦痛の受け止め方が変わることを示しています。本作でPratelleが自らハンマーを手にし、ロボットや建物を壊していくのも、破壊の結果だけでなく、破壊するかどうかを自分で選ぶことに意味があります。

仮想の破壊とテクノロジーへの反発

ゲームや破壊体験施設で物を壊す行為には、先の展開を確かめたいという「病的な好奇心」も関係しています。皿を床に叩きつけたらどうなるのか、ワイングラスを壁に投げればどのように砕けるのか。そうした少し不穏な疑問を、安全な範囲でシミュレーションすることは、人間にとって自然な探索行動だとLeonardis氏は説明しています。

人間の脳には、現実と仮想、あるいはシミュレーションを区別する機能があります。そのため、ゲーム内でロボットを壊したり、破壊施設で廃品を叩いたりしても、現実の人間に危害を加えることとは同一ではありません。Leonardis氏は、こうした体験が臨床的な意味でトラウマを治療するかどうかは分からないとしつつ、専門家の助けが必要なトラウマを自己流の破壊だけで解決しようとするべきではないと注意しています。

そのうえで、暗い好奇心を安全な形で探ること自体は悪いことではなく、状況が悪化したときに自分がどう反応するかを考える助けになる可能性があるとのことです。仮想空間での破壊は、現実逃避というより、現実には実行できない行動を観察し、自分の感情や反応を確かめる場にもなります。

本作がロボットを破壊の対象にしている背景には、現在のテクノロジーをめぐる不安もあります。AIによる雇用への影響、ノートPCやスマートフォン、ゲーム機の価格上昇、データセンターによる地域の水資源への負荷や有害物質の排出など、技術の発展は利便性だけでなく不安も生み出しています。さらに、デジタル商品を消費者が本当に所有できるのかという問題や、物理的な商品を減らす企業の方針も、反発を招いています。

Leonardis氏は、トランスヒューマニズムの考え方が日常生活に入り込むなかで、特に芸術分野ではその動きへの否定的な反応が強まっていると説明しています。AIが人々の知的財産を取り込もうとしていると受け止められる状況では、ロボットをハンマーで叩き壊す行為が魅力的に見えるというわけです。同時に、デジタル技術から距離を置き、物理メディアや身体性、人間が作ったコンテンツへ戻ろうとする動きもあるとしています。

原文筆者が破壊体験施設でワイングラスではなく画面を選び、本作でPratelleが人間ではなくロボットを壊すのも、こうした感覚とつながっています。そこには、ただ「もっと多くのコンテンツ」を受け取るのではなく、自分の手で触れられるものや、確かな実感を取り戻したいという欲求があります。

本作はWindows PC向けにSteamで今秋リリースされる予定です。Leonardis氏は、物を壊すことがトラウマへの答えになるわけではないとしながらも、人間が歴史を通じて、無力な状況で主導権を取り戻すために破壊を儀式化してきた事実を指摘しています。故郷を壊すという極端な設定は、破壊の快感だけでなく、喪失、制御、テクノロジーへの不安を同時に描く題材になっています。