Miles BuckleのInstagram 映画の名場面を実在しないレトロゲームとして再構築
2026年09月13日 | #ゲーム紹介 | Eurogamer
映画の名場面を、存在しないレトロゲームの映像として作り替えるMiles BuckleのInstagramが注目を集めています。The ShiningやTwin Peaks、Amarcordといった作品を、The Sims 2やSimCity 2000、初期PlayStation風の表現に落とし込む短い動画です。単なるパロディではなく、映画とゲーム、それぞれの時代や技術の特徴を踏まえて「本当に遊べそうな作品」の姿を想像させる点が魅力になっています。
映画の記憶をゲームの文法へ置き換える
Buckleの投稿では、映画の場面がそのまま再現されるのではなく、別のゲームジャンルやグラフィック表現を通して再構成されます。たとえばThe Shiningの、ジャック・ニコルソン演じるジャックがシェリー・デュヴァル演じるウェンディを追い詰める場面は、The Sims 2のぎこちなくコミカルな動きで表現されています。Twin Peaksの冒頭はSimCity 2000の風景として描かれ、同作を使った「正投影法の実験」のひとつになっています。さらに、Networkでピーター・フィンチが叫ぶ「私は人間だ、畜生!」という有名な場面は、ローポリゴンのキャラクターによる映像へと変換されました。
これらの動画は、現実には存在しないゲームの断片です。それでも、どのゲームの質感を借りれば映画の空気が変わるのか、どの時代の表現なら場面の印象を強められるのかが考え抜かれています。Federico Fellini監督の1973年の映画Amarcordを、1990年代末から2000年代初頭のアイソメトリックなゲームとして描いた映像もその一例です。映画が持つ夢のようなシュールさに、当時のアドベンチャーゲームに見られた生活感のあるユーモアや、風変わりな登場人物の振る舞いを組み合わせています。
原文筆者は、Buckleの作品がカルト的な映画監督を好むネット上のファンに向けた面白い映像であるだけでなく、元作品の演出と、それを置き換えるゲーム側の技術的な制約を理解したうえで作られている点を評価しています。映画の雰囲気をゲーム画面に移すだけではなく、ゲームならではのNPCの動き、背景の見せ方、視点、操作の想像まで加わることで、短い動画の外側に存在しないゲーム全体を思い描ける仕掛けです。
Lego、Minecraft、Blenderから始まった3D表現
Buckleは12歳のころ、インターネットでMinecraftのアニメーションやパロディソングを見て、自作のMinecraft作品をYouTubeに投稿していました。家族の知人からBlenderを見せてもらったことをきっかけに、制限なく自分の望む形を作れる3D制作に夢中になったといいます。
LegoやMinecraftは自由な建築を楽しめる一方、最終的にはそれぞれが想定した見た目の範囲に縛られます。Legoなら手元にあるパーツの種類にも左右されます。Buckleにとって、Lego、Minecraft、Blenderは、物を作る楽しさだけでなく、「自分が望む見た目を自分で決めたい」という制作意欲を育てた存在でした。
ローポリゴン表現へ進む大きなきっかけになったのは、itch.ioで公開されていたTwin Peaksのファンゲーム、Into the Nightでした。ただし、この作品は著作権上の問題によって削除されています。Buckle自身の作品も、映画などの著作物を取り入れているため、制作できても公開や配布には難しさが伴います。
Nights Bridgeが描いた記憶と画質
ロンドンのCentral St Martin'sでグラフィックコミュニケーションデザインを学んだBuckleは、大学の卒業制作として短編ゲームNights Bridgeを発表しました。展示では、1990年代のものとしてeBayで購入したクリーム色のデスクトップパソコンを使っています。Buckleは内部の部品を取り外し、現代のハードウェアを組み込んだため、モニターや筐体は古いまま、内部だけが新しい構成でした。重量のある本体一式を自分で持ち帰ったという制作環境も、作品の展示方法と結びついています。
Nights Bridgeは、記憶とグラフィックの精細さをテーマにしたインタラクティブな物語作品です。プレイヤーは料理をしたり、風呂に入ったり、郵便物を受け取ったりしながら、特別ではない日常を過ごします。退屈にも見える生活の中で、少しずつ奇妙な出来事に気づいていく構成でした。
作品の中心にあるのは、幼少期の記憶が実際に起きた出来事を正確に保存したものではなく、本人にとって特定の形に変わって思い出されるという考えです。Buckleはこの変化を画質に結びつけ、現在の場面を比較的写実的に描き、数年前の記憶へ戻るとPS1風のグラフィックに、さらに過去へ進むとMarioの横スクロールゲームのような表現に変化させました。記憶の精度が下がるほど、画面の表現も単純化していく仕組みです。
ただし、Nights Bridgeは現在、一般にプレイできる状態ではありません。Buckleはプロジェクトファイルを保管しているものの、当時はUnrealから適切に書き出せませんでした。加えて、作品内には著作権のある要素が多数使われているため、今後どこかへアップロードできる可能性も低いとしています。卒業制作展では好意的に受け止められた一方、ほかの学生や来場者はコンセプトよりも制作技術の側に強い関心を示していたそうです。
古い表現を「制約」ではなく選択として使う
Nights Bridgeの制作を通じて、Buckleは映画における技術の変化と、ゲームにおける古い表現の扱われ方を考えるようになりました。映画を現代にモノクロで撮れば、観客は「カラーにできなかった」とは考えず、意図的にモノクロを選んだと受け取ります。一方で、現代のゲームが8ビット風やPS1風の画面を採用すると、小規模なインディー作品だからその表現になったのだろう、と見なされがちです。
Buckleは、古い画質を単なる制作上の妥協ではなく、物語やコンセプトを支える意図的な選択として成立させたいと考えています。技術が進歩すると、次のゲーム機や流行するアイデアに制作の関心が集中し、短い期間だけ存在した表現やジャンルが十分に掘り下げられないことがあります。Buckleは、懐古趣味だけを理由にするのではなく、当時の技術では引き出し切れなかったゲームの可能性や、再び試す価値のあるアートスタイルがあると話しています。
Buckleが惹かれるのは、そもそもゲーム化されそうにない映画です。権利者が存在するため実際には許可されない企画を、Instagram上の短い映像なら自由に想像できます。HitchcockやFelliniの映画を本格的にゲームへ翻案できるなら制作してみたいとBuckleは考えているものの、現時点では実現していません。
原文筆者は、Rear Windowのような作品に公式ゲームが作られたとしても、現代のゲーム開発では資金提供者や企業の都合によって優れたアイデアが失われる可能性が高いと批判しています。実際に存在したVertigoのゲームについても、原文筆者は期待外れで平凡な出来だったと評しています。過去の映画が持つ緻密な演出を、異なる制作環境と商業的な妥協が重なる現代のゲーム開発へ移植する難しさを指摘したものです。
Pixel Chixから広がる物理とデジタルの組み合わせ
現在のBuckleは、2005年にMattelから発売された玩具Pixel Chixを題材にした動画にも取り組んでいます。Pixel Chixは、TamagotchiとPolly Pocketを組み合わせたような携帯型のドールハウスで、ドットマトリクス式の液晶画面に表示される要素と、立体的な玩具の外装を組み合わせた製品です。記事では、この玩具の元になった日本のSega製ガジェットにも触れていますが、その名称は示されていません。元の機器は家の形をしたインタラクティブな目覚まし時計のようなもので、最終的には世話をするデジタルの「Gal」を備えた生活シミュレーション玩具へ発展したと説明されています。
BuckleがPixel Chixから着想を得ているのは、画面の中の世界と、その背後にある物理的なセットが同時に存在する構造です。たとえばベッドにいる人物を表示する場合、掛け布団の一部は液晶画面の映像でありながら、ベッドのフレームはプラスチック製の立体物にできます。画面上で変化する部分と、固定された物体を見分けたり、両方に触れたりする仕組みをゲームのメカニクスへ発展させたいと考えています。
この発想は、Billy Wilder監督の1960年の映画The Apartmentを使った映像ですでに試されています。Buckleは、アパートの窓に見える人物や出来事を追うミステリーゲームの構想にも関心を示しています。複数の窓からそれぞれ異なる生活を覗き見るアパートを舞台にすれば、画面内の情報と立体セットの情報を組み合わせた独自の探索や推理につなげられます。
BuckleのInstagramが生み出すのは、単に「この映画がゲームになったら面白そう」という願望だけではありません。実際には存在しないからこそ、作品の雰囲気に合う視点や操作方法、NPCの生活、古いハードウェアの質感を自由に想像できます。Amarcordをゲーム化した作品が本当に発売されれば、映画と想像の間にある余白は埋まってしまいます。原文筆者は、そのゲームを実際に遊びたいという気持ちを抱きながらも、想像の中だけに存在する状態だからこその魔法も失ってほしくないと述べています。