『Shenmue』が龍が如くに受け継がせた8つの要素
2026年09月14日 | #ゲーム紹介 | DualShockers
『Shenmue』と龍が如くは、見た目もゲームテンポも大きく異なるシリーズです。しかし、1999年に発売された前者の開発経験が、後に龍が如くを生み出す土台になったと原文筆者は指摘しています。鈴木裕氏と名越稔洋氏が同じ開発現場で培った考え方は、街の作り方、寄り道の多さ、物語の描き方、そして開発規模の管理にまで受け継がれました。
2人のクリエイターが共有した開発経験
『Shenmue』の開発を率いた鈴木裕氏は、1983年にセガへ入社し、数々の代表的なアーケードゲームを手がけました。1990年代には、アーケードゲームのような映像表現とRPGを組み合わせた作品を目指し、「Virtua Fighter RPG: Akira's Story」の開発を始めます。この企画が後の『Shenmue』へと変化していきました。
その開発チームには、後に龍が如くの生みの親として知られる名越氏も参加していました。開発が長期化し、たび重なる遅延が発生したことで、名越氏はいったんプロジェクトを離れて自分のチームを立ち上げます。しかし約6か月後、セガは完成に向けた作業を進めるため、名越氏をプロジェクトへ呼び戻しました。
名越氏はそこで得た経験を、自身が考える新たなゲームへ生かします。そして本作の発売から6年後、龍が如くを世に送り出しました。原文筆者は、龍が如くが長年にわたって名越氏の代表作となった背景には、本作の開発現場で学んだことがあったと見ています。1人の作品を別のシリーズがそのまま再現したわけではなく、開発者が経験を持ち帰り、別の方向へ発展させた点が重要です。
世界を生きているように見せる設計
本作の大きな特徴は、プレイヤーを急かさず、現実の生活に近い時間の流れを再現しようとしたことです。物語をすぐに進めるのではなく、人々がそれぞれの生活を送り、街を歩き、住民と会話し、時にはゲームセンターで遊ぶ。そうした行動の積み重ねによって、舞台が単なるステージではなく、実際に存在する場所のように感じられる構成になっていました。
このゆっくりしたテンポは、本作を象徴する要素である一方、プレイヤーの間で意見が分かれた部分でもあります。原文筆者は、丁寧に世界を体験させるこのペースを評価する一方、龍が如くでは同じような意図をより速い展開へ変えていると説明しています。龍が如くも物語の進行には一定の構成がありますが、戦闘やアクションを重視することで、画面上ではほとんど常に何らかの動きが起こります。
戦闘表現の違いは特に大きな部分です。本作の戦いは長く、映画の一場面のように演出されます。それに対して龍が如くは、戦闘や移動を含めた身体的なアクションを連続させる方向へ進みました。そのため、両シリーズを続けて遊ぶと、同じ系譜を感じながらも、テンポの差に強い違和感を覚えることがあると原文筆者は述べています。
一方で、街を細部まで作り込む考え方は共通しています。本作の横須賀は、当時のオープンワールド作品と比べても決して大きな世界ではありませんでした。それでも、広さを誇示するための場所ではなく、プレイヤーの身近な近所のように感じられる点が特徴でした。どこに何があり、誰がどのように暮らしているのかを把握できる規模だからこそ、世界全体にまとまりが生まれています。
龍が如くでは、この発想を神室町という別の形へ展開しました。神室町は近所というより都市として描かれていますが、規模をむやみに広げず、看板、建物、NPCの振る舞いなどを密集させています。街そのものは他の大型作品より小さく見える一方、内部には非常に多くの細部が詰め込まれています。原文筆者は、この密度の高さによって、実際に日本の街を歩いているような感覚に近づいていると評価しています。
寄り道と日常の物語がシリーズを広げた
本作では、復讐という中心目的がありながら、プレイヤーは数多くの寄り道へ誘われます。アーケードでゲームを遊ぶ、住民と話す、街を探索するなど、物語を進める以外の行動が豊富に用意されていました。復讐のために動いているはずの主人公が、ハイスコアを更新するためにSpace Harrierへ熱中することさえあります。
名越氏はこの寄り道の考え方を、龍が如くでさらに拡大しました。龍が如くには、サブストーリーや任意のクエスト、登場人物の一面を描く短編的なエピソードが大量に盛り込まれています。単なる時間つぶしではなく、メインストーリーだけでは描けない街の人々や主人公の姿を見せる役割を担っている点が特徴です。
それらの内容は一様ではありません。コミカルな話、アクションを中心とした話、登場人物の悩みや関係性を描く感情的な話まで、幅広い方向性が用意されています。原文筆者は、龍が如くのサブストーリーの中には、シリーズでも特に印象的な冒険が含まれているとしています。深刻な本筋の合間に極端なユーモアを挟みながら、別のエピソードでは登場人物の苦しさや優しさを正面から描く。その振れ幅も、両シリーズに通じる日常描写を龍が如くらしく変化させた部分です。
日常の魅力は、派手な事件が起きていない場面にも表れます。本作では、猫について少女と話す、家族が困難を抱えていることを知るといった小さな出来事が、復讐劇とは別の感情を生み出します。原文筆者は、物語の本当の魅力は単純な復讐の筋書きではなく、こうした静かな時間や生活感にあると述べています。
龍が如くも、外側だけを見ればアクションを中心とした物語に見えます。しかし、登場人物同士の親密な場面や、街で出会う人々との短いやり取りが、物語に感情的な厚みを与えました。主人公・桐生一馬の長い歩みを追うことは大きな時間を必要としますが、その人間関係、苦悩、勝利が積み重なることで、シリーズ全体に継続的なドラマが生まれたと原文筆者は分析しています。
物語の幅と映像表現を磨き上げた龍が如く
本作の物語は、世界を探索しながら映画的な筋書きを体験するという、比較的明確な構造を持っていました。そこには革新的な魅力があり、現在でも開発者へ影響を与えているとされています。ただし龍が如くは、その基本的な考え方を受け継ぎながら、物語の焦点を変えました。
中心に置かれたのは、1つの復讐を終えることだけではありません。1人の主人公が人生のさまざまな段階を経験し、その長い物語を複数の作品で追っていく構成へと変化しました。また、本作に見られた意図しないユーモアとは異なり、龍が如くは場面に応じて意識的に極端な展開を取り入れます。シリアスな状況から突然、常識外れの笑いへ移ることもありますが、それを含めてシリーズの個性になっています。
原文筆者が龍が如くの強みとして挙げているのは、コメディ、アクション、メロドラマを同時に扱える点です。どれか1つに統一するのではなく、場面によって語り口を切り替え、それぞれを同じ作品の中に成立させています。本作の開発経験が、こうしたバランスを見つけるための土台になったという見方です。
技術面でも、本作が目指した高品質な映像は後のシリーズへつながりました。Dreamcastは、セガが1998年に投入したアーケード基板NAOMIを強く意識した構造を持っており、その技術的な基盤が本作の映像表現を支えました。キャラクターの目に生命感があるように見えることは、物語へ入り込ませる重要な要素だったと原文筆者は説明しています。
龍が如くも、セガが新しい映像技術を追求してきた流れから恩恵を受けました。その到達点の1つとして挙げられているのが、ドラゴンエンジンです。名越氏と龍が如くのチームは、本作が追い求めた高水準のグラフィック表現を、より後年の環境で発展させました。単に映像を美しくするだけでなく、街の細部やキャラクターの存在感を表現するための技術として受け継がれたとされています。
開発規模を抑えながら続くシリーズへ
本作が長期的なシリーズにならなかった理由として、原文筆者は開発費の大きさにも触れています。初代の開発費については資料や見積もりによって差がありますが、5000万ドルから7000万ドルの範囲だったとされています。高い完成度を目指した大規模な開発が、作品の魅力を生み出した一方、シリーズを継続するうえで重い負担になりました。
名越氏は、遅延が続いたプロジェクトを完成へ導く過程でセガから信頼を得たと考えられます。その結果、龍が如くでは比較的大きな自由を与えられた可能性があると原文筆者は見ています。龍が如く側では、開発費や制作上の問題が際限なく膨らまないようにしながら、継続的に作品を送り出す仕組みが重視されました。
名越氏が2021年にセガを離れた後も、その傾向は続いているとされています。過去の失敗から学び、既存のアセットを再利用し、品質と制作量のバランスを取るパイプラインを構築することで、龍が如くは複数作品にまたがる長編シリーズへ成長しました。本作が革新しようとした要素をすべて同じ規模で再現するのではなく、街の密度、寄り道、日常の物語、映像表現といった核を選び、より継続しやすい形へ組み替えた点が大きな違いです。
原文筆者は、龍が如くが本作を単純に上回ったというより、そこで生まれた発想を別の速度と規模で完成させたシリーズだと捉えています。ゆっくりとした生活感のある世界、狭い場所に詰め込まれた細部、メインから外れた物語、キャラクターの長い人生、そして高品質な映像。これらが異なる形で組み合わさったことが、両シリーズを結びつける共通点になっています。