ホラーゲームは恐怖を安心して楽しめると脳科学者が説明
2026年09月20日 | #ゲーム紹介 | Polygon
ホラーゲームを「怖いのに落ち着く娯楽」として楽しむ人がいるのは、恐怖を安全な環境で疑似体験し、自分ならどう対処するかを考えられるからかもしれません。感情神経科学者のEric Leonardis博士は、こうした遊びが将来の危険に対するコントロール感を取り戻す機会になると説明しています。恐ろしい作品を好むことは、単なる刺激への欲求だけではないようです。
恐怖を安全にシミュレーションする「ダークプレイ」
原文筆者は、夏の終わりからホラー作品が盛り上がる時期に触れつつ、Silent Hill fやResident Evil Requiemのような作品を、Stardew ValleyやThe Golden Girlsと同じような「安心して戻れる娯楽」として扱う人々に注目しています。ホラー映画では、Gremlins、Misery、Tremorsのように恐怖とユーモアや親しみやすさが同居する作品が、長年にわたって比較的受け入れやすいジャンルとして存在してきました。近年はゲームでも、Grave Seasonsのような不穏な農場シミュレーションや、Cult of the Lambのように可愛らしい表現と不気味な題材を組み合わせた作品が登場しています。
Leonardis博士によると、こうした体験は神経科学の文献で「ダークプレイ」と呼ばれる考え方に近いものだといいます。現実では避けたい負のテーマを、ゲームや映画の中であえて検討することで、プレイヤーは将来起こるかもしれない出来事に対して、より準備ができている、あるいは自分で対処できるという感覚を得られる可能性があります。
博士は、ホラー作品を見ているときに「この場面なら地下室へ行かず、正面のドアから逃げるべきだ」と考える状況を例に挙げています。画面内の人物が危険にさらされていても、プレイヤーは安全な場所から状況を分析し、自分ならどの選択をするかを試せます。恐怖そのものを味わうだけでなく、危機への判断を頭の中で何度も練習できることが、心地よさにつながるという説明です。
現実ではないと分かっているから落ち着ける
ホラーゲームでは、操作するキャラクターがゾンビに襲われたり、深刻な危険に巻き込まれたりします。しかし、プレイヤー自身の身体に危害が及んでいるわけではありません。Leonardis博士は、恐ろしい状況を体験しながらも、それが自分に起きているのではないと理解できるため、過度に取り乱さず、距離を置いて振り返れるとしています。
この「危険を感じるが、現実の危険ではない」という距離が、ホラーを安心できる娯楽に変えます。完全に安全な日常だけを描く作品とは異なり、ホラーは強い感情を引き起こします。それでも、ゲームのルールや画面という枠組みがあることで、プレイヤーは恐怖の範囲を把握できます。敵の出現、音楽の変化、閉ざされた空間などに反応しながらも、最終的にはコントローラーを置けば体験を中断できます。
原文筆者が取り上げる「居心地のよいホラー」は、流血や残虐描写の強さだけを競う作品を指すものではありません。恐怖を感じる余地を残しながら、作品との距離を保てることが重要です。親しみやすいキャラクター、ユーモア、繰り返し遊べる仕組み、プレイヤーが状況を理解していく感覚などが組み合わさると、恐怖は避けるべき刺激ではなく、慣れ親しんだ娯楽として受け入れられます。
仮想空間でも脳は環境を把握しようとする
ホラーゲームの体験が現実の恐怖と無関係な単なる作り物ではない理由として、博士は脳が仮想空間を認識する仕組みにも言及しています。ゲーム内の建物や道、部屋の位置関係を覚え、敵がどこから現れるかを予測するとき、プレイヤーは現実の空間を把握するときに近い働きを利用しています。
その一例が、場所の認識に関わる「場所細胞」です。Leonardis博士の説明では、現実空間で活動する場所細胞のうち、およそ25〜30%が仮想空間でも動員されるとされています。現実とまったく同じ反応ではないものの、脳がゲーム内の環境をある程度、実在する空間のように投影していることを示す数字です。
そのため、廊下の先に何があるか、逃げ道はどこか、敵と距離を取れる場所はどこかといった判断は、単なる映像鑑賞よりも能動的なものになります。脳は仮想空間の中で人間や動物、地形などの複雑な要素を捉え、危険を予測するために、進化の過程で培われた仕組みを部分的に使っていると博士は説明しています。
恐怖を楽しむことは危険への備えにもなるのか
もちろん、ホラーゲームを遊べば現実の危険に対して必ず優れた判断ができるようになる、という話ではありません。博士の説明は、現実と仮想空間の反応が同一だという意味でもありません。それでも、危険な状況を安全な距離から観察し、選択肢を考え、失敗してもやり直せる経験には、恐怖を自分で扱える感覚を育てる側面があります。
原文筆者は、秋にラクーンシティやサイレントヒルを再訪する予定がある読者に対し、現実のゾンビ黙示録への備えができていると冗談めかして呼びかけています。科学的に現実の災害への準備が保証されるわけではありませんが、恐ろしい作品を好む人が求めているのは、恐怖に圧倒されることだけではなく、安全な場所から危機を理解し、自分の力で切り抜ける感覚なのかもしれません。