『ウィッチャー3 ワイルドハント』は原作への敬意と独自の物語を両立した翻案の傑作です
2026年に遊び直しても、『ウィッチャー3 ワイルドハント』の魅力は色あせていません。その理由は、懐かしさだけではありません。開発元のCD Projekt Redは、アンドレイ・サプコフスキの小説を細部までそのまま再現するのではなく、原作の世界と精神を大切にしながら、新たな物語を生み出しています。今回の再訪、とりわけ拡張コンテンツ「血塗られた美酒」での体験は、その仕事の見事さを改めて感じさせるものでした。
遊び直すことで見えた拡張コンテンツの魅力
CD Projekt Redは9月29日、2015年発売の本作にリマスター版となる更新を配信しました。大半のプラットフォームでは無料で、グラフィックを大幅に改善し、ゲームプレイにも必要とされていた修正を加えています。この再登場によって、本作は集計上の扱いとはいえ、2026年で最も高く評価されたゲームになりました。
今回、筆者が再プレイの出発点に選んだのは、2つの拡張コンテンツのうち規模の大きい「血塗られた美酒」です。舞台は、フランスを思わせる国トゥサン。2016年当時のように、本編の約200時間に及ぶ冒険へ多くの時間を割くのは難しくなっています。一方で、初回のプレイではこの拡張を駆け足で進めてしまったため、今度こそじっくり味わいたいという思いもありました。
その価値をよく示しているのが、序盤で出会うサイドクエスト「とある騎士の恋物語」です。若い騎士ギヨーム・ド・ローンファルは、想いを寄せるヴィヴィアンへの愛を証明しようと、暴れる怪物の前に身をさらしています。彼はヴィヴィアンの様子に不審な点を見つけ、呪いにかかっているのではないかと疑っていました。そこで、ちょうど現れたゲラルトに助けを求めます。
ただし、ヴィヴィアンに近づくには、ゲラルトがギヨームの代わりに騎士の馬上槍試合へ出場しなければなりません。個性の強い登場人物、一見単純な話に隠されたひねり、そして思いがけない悲劇につながりかねない最後の選択。いずれも、本作らしい物語の魅力が詰まっています。
騎士の名乗りに込められた原作への理解
大会への登録時、ゲラルトは「リヴィアのゲラルト」と「フォーホーンのラヴィクス卿」のどちらを名乗るか尋ねられます。ゲームだけを遊んできた人には意外な選択肢ですが、どちらも小説に由来しています。
ウィッチャー長編シリーズの第3作、Baptism of Fireでは、ゲラルトは橋をめぐる戦いでの功績を認められ、リリアとリヴィアの女王メーヴから騎士に叙されています。「リヴィアのゲラルト」は、それ以前には本人が作った名乗りでしたが、この叙勲によって正式なものとして定着しました。
ラヴィクス卿という名は、さらに古い物語から採られています。最初の短編集The Last Wishに収録されたA Question of Priceで、ゲラルトはシントラの女王キャランセに招かれ、その娘パヴェッタの婚約を祝う宴へ、この偽名で出席しました。
これは単なる小ネタではありません。パヴェッタの娘はシリであり、この短編でゲラルトが持ち出す「驚きの法」が、2人の長い関係、ひいては本作の出来事につながっています。クエストにはアンスィス王子やアーサー・タイルズなど、小説の人物も登場します。
CD Projekt Redはシリーズ第1作から、原作への深い理解を、新しい物語を紡ぐために使ってきました。サプコフスキの記述と明確に食い違う場面は少なく、食い違う場合も、小説で死んだレジスを「血塗られた美酒」で再登場させるなど、登場人物を物語へ戻すためであることが多いのです。
原作をなぞらず、その先を描くという選択
サプコフスキ自身は、ゲームを小説の正史とも、自らの世界や人物を完璧に翻案した作品とも認めていません。ウィッチャーの流派など、原作では小さな要素だったものを、ゲームが過度に膨らませているとも批判しています。
しかし、原作を再現するよりも、その世界を広げる姿勢こそが、ゲーム版の強みです。シリーズの全作品は、小説の結末より後を舞台にしています。この大胆な選択によって、同じ筋書きを描く作品同士の直接比較を避け、開発側はより大きな創作の自由を得ました。
その代わり、サプコフスキが数十年かけて築いた作品に並べて語れる物語を作る、という重い課題も背負いました。本作は物語を高く評価され、発売から10年以上たった今も傑作と見なされ、累計販売本数は6500万本を超えています。その実績を見る限り、この挑戦は成功したといえます。
もちろん、独自の物語でも、世界観と人物の描写は原作と比較されます。ゲラルトはプレイヤーの選択によって振る舞いが変わるため、小説と違って感じられるのはRPGの性質上避けられません。脇役の再現度にも差はありますが、原作を著しく損なうような描写は見当たりません。
たとえばゲーム版のヴェセミルは、シリに変異誘発剤を無理やり注入しようとするNetflixのドラマ版に比べれば、はるかに怒りを覚えずに受け止められる人物になっています。
暗さとおかしみが同居する世界を守る
世界の描写において、CD Projekt Redの仕事はとりわけ優れています。その背景には、開発元も原作者もポーランドに根を持つという共通点があります。
サプコフスキの世界には、東欧の民間伝承や、とくに中世の歴史が色濃く反映されています。超自然の脅威に満ちた危険な世界ですが、暗さを生むのは怪物だけではありません。戦争や差別など、人間の行いも小説を通じて重要な主題になっています。その一方で、気まぐれなおかしみや、ほろ苦いユーモアもあります。おとぎ話や民話に見られる、この二面性をゲームは巧みに保っています。
「とある騎士の恋物語」でも、最後の2つの選択肢のうち一方は、関係者に本当に悲惨な結末をもたらします。それでも道中では、何でもうっとうしい韻を踏んで告げる伝令に付き合わされたり、宴の席で不満を抱えた騎士と殴り合ったりします。悲劇と笑いが同じ冒険の中に存在し、自由に歩き回るオープンワールドRPGとしての体験にも溶け込んでいるのです。
文化的な背景を共有することは、既存の作品を単なる収益源以上のものとして理解する助けにもなります。リメイクや既存作品の再利用が続く今、CD Projekt Redの姿勢は、ほかの作り手が参考にすべきものです。原文筆者がひどい出来だと評するNetflixのウィッチャーも、その例に含まれますが、今からでは手遅れだとしています。
同ドラマの最初の2シーズンに脚本家として参加したボー・デマヨは、脚本チームに原作を「積極的に嫌い、さらには嘲笑する」人がいたと主張しました。製作側はこの主張を否定しています。筆者は、ヘンリー・カヴィルが降板理由の1つとしてウィッチャーの物語をきちんと伝えたいという希望をたびたび挙げていたことを、デマヨの発言を間接的に裏づけるものと捉えています。
映画ロード・オブ・ザ・リングに通じる成功
ゲーム版ウィッチャーと比較できるのが、映画ロード・オブ・ザ・リングの3部作です。映画はトールキンの作品を細部まで正確に再現してはいません。それでも、原作の世界と精神に忠実であることが、何百万人ものファンに愛される理由になりました。映像化をきっかけに小説を知った人が多い点も、ゲームからサプコフスキの作品へ入った読者と重なります。
その対極にあるのが、力の指輪とNetflixのウィッチャーです。筆者によれば、両作の問題は原作との違いだけにとどまらず、そのすべてを論じることは本稿の範囲を超えています。
2026年に再び注目を集める本作は、優れたゲームを作る方法だけでなく、愛されてきた作品をどう扱うかも示しています。原作に敬意を払いながら、その世界に新たな価値を持つ物語を加える。その両立こそが、今も本作を遊ぶ大きな喜びです。