『シェンムー』が示した小さな世界の可能性とオープンワールド設計
2026年09月09日 | #その他 | DualShockers
広大さを競うオープンワールドの流れとは異なり、1999年の『シェンムー』は、限られた規模の世界に細部と生活感を詰め込むことで、ゲームの世界設計に別の方向性を示しました。セガのAM2チームが鈴木裕氏の指揮のもとで作り上げた本作は、アーケード級の映像表現、映画的な物語、RPGに近い探索体験をひとつにまとめた作品として、現在のゲームにもつながる考え方を提示したと原文筆者は見ています。
アーケード技術から生まれた新しい体験
AM2は、鈴木氏がセガに入社した後、後に龍が如くシリーズを手がける名越稔洋氏らとともに活動していたチームを母体としています。バーチャファイターやデイトナUSAといったアーケード作品で実績を重ねたAM2は、画面上の動きや操作感を重視するアーケード開発の技術を蓄積していました。
その技術を家庭用ゲームへ持ち込もうとした企画が、当初「Project Berkley」と呼ばれていた作品です。開発はセガサターン向けに始まりましたが、後に大幅に性能が向上したセガ・ドリームキャストへ移行しました。目指されたのは、アーケードゲームのような映像表現と、RPGのように世界を歩き回りながら物語を進める体験の融合です。
物語の軸には、古典的な香港カンフー映画へのオマージュが置かれました。主人公の芭月涼が父親の仇を追う展開は、復讐劇としての強い推進力を持ちながら、街で人に話を聞き、日常の中から手がかりを探す構成にもなっています。原文筆者は、本作の冒頭が香港映画を思わせる印象的な場面であり、現在見ても視覚的な魅力を保っていると評価しています。
とくに注目されているのが、登場人物の目の動きです。キャラクターが周囲の物や人物へ視線を向ける表現は、世界を単なる背景ではなく、実際に存在する場所として感じさせます。こうした細かな反応を積み重ね、ゲーム内の出来事に一貫性を持たせたことが、映像の新しさだけではない本作の魅力につながりました。
広さではなく密度で描いた街
涼が自宅を出て横須賀の街へ向かう場面では、広大な景観を見せてプレイヤーを驚かせるのではなく、静けさや孤独を前面に出しています。穏やかなシンセサイザーや控えめな電子ピアノが流れる中で街を歩く感覚は、一般的なオープンワールド作品の高揚感とは異なるものです。原文筆者は、横須賀へ足を踏み出したときに生まれる感覚を、他のゲームでは再現されていない独特なものだとしています。
本作には、現代のゲームで一般的な地図、クエストマーカー、常時表示されるヒント機能がありません。少なくとも、プレイヤーを目的地へ直接誘導する従来型の仕組みは用意されていません。進行するには、街の人に道を尋ね、道路標識を読み、周囲の建物や景色を覚える必要があります。
これはプレイヤーに不親切な設計を押しつけるためではなく、街そのものを理解させるための仕組みとして機能しています。画面に表示された目印を追うのではなく、自分の観察と記憶で移動するため、道を歩く行為が単なる移動手段ではなくなります。見落としや勘違いによって迷う可能性もありますが、その不確かさを含めて世界を把握していくことが、本作の探索体験を形作っています。
原文筆者は、近年のゲームがプレイヤーの負担を減らす方向へ進んできたこと自体は、幅広い人が遊ぶために重要だと認めています。一方で、プレイヤーを過剰に案内する設計が増えた時期に、本作は「世界を渡すだけで、理解の仕方までは決めない」作品として異なる存在感を示したと説明しています。
時間に合わせて動く世界
本作の街は、プレイヤーの都合だけを中心に動きません。時間は自然に進み、店には通常の営業時間が設定されています。目的の店へ行っても閉まっていれば、その場で都合よく利用できるわけではなく、次の機会を待たなければなりません。
ゲームとして見れば、これは不便な仕様です。しかし、AM2チームはその不便さを取り除くよりも、街がプレイヤーとは無関係に存在しているように感じられることを重視しました。店の営業時間や人々の生活時間があることで、舞台は主人公の行動を受け止めるだけの背景ではなく、独自の規則で動く場所になります。
たとえば腕時計を確認し、目的地が閉まる時間が近いと気づいて急いで向かう場面では、特別なイベントが起きるわけではありません。それでも、限られた時間の中で行動を選ぶことに、日常に近い緊張感が生まれます。原文筆者は、こうした一見すると平凡な体験こそが本作の核にあり、20年以上にわたって印象を残してきた理由のひとつだとしています。
オープンワールド設計への影響
1990年代末から2000年代にかけては、より大きく、より詳細なゲーム世界を作ることが競争の焦点になりました。競合作品より広いマップを用意できれば、それだけで優位に立てるという考え方です。こうした流れに対して、原文筆者は、面積の大きさだけでは本作を超える魅力にはならないと論じています。
本作の世界は、後年の巨大なオープンワールドと比べれば小規模です。それでも、登場人物の視線、街の標識、営業時間、移動中の音楽、道を尋ねる会話といった要素が互いに結びつき、実際に暮らせる場所としての密度を生み出しています。映画的な復讐劇と、街を歩いて日常を知る生活描写も、どちらか一方に偏らず同じ世界の中に組み込まれました。
原文筆者は、巨大なマップを持つ作品かどうかにかかわらず、本作ほど細部、映画的な冒険、日常を描く物語を同時に成立させたゲームはほかにないと結論づけています。オープンワールドの価値を「どれだけ広いか」だけで測るのではなく、「その場所がどれだけ具体的に感じられるか」へと広げた点に、本作の長期的な意義があるといえます。