← 最新記事一覧

『アサシン クリード ブラザーフッド』がUbisoftのオープンワールド設計に残したもの

2026年09月20日 | #その他 | GamesRadar+

『アサシン クリード ブラザーフッド』がUbisoftのオープンワールド設計に残したもの

Ubisoftのオープンワールド作品に共通する構造をたどると、その源流として浮かび上がるのが『アサシン クリード ブラザーフッド』です。原文筆者は、シリーズのなかでも本作が、マップの解放、拠点の制圧、都市の再建、仲間への指示といった要素を物語と結び付け、Ubisoftが目指すゲームの形を最も鮮明に示した作品だったと論じています。後年の作品で同じ仕組みが繰り返し使われるようになった現在だからこそ、オリジナルの完成度と、その後のシリーズが抱えた問題の両方が見えてくるという内容です。

Ubisoft作品に広がった基本設計

Ubisoftは『アサシン クリード』以外にも多くの作品を手がけていますが、同シリーズは単なる一つの人気ブランドにとどまらず、同社のオープンワールド作品全体に影響を与えた存在だと原文筆者は説明しています。高所に登って周囲の地図を明らかにする仕組み、各地の拠点を制圧して活動範囲を広げる構造、マップ上に多数の目的地を配置する設計は、やがて異なる舞台やジャンルの作品にも姿を変えて登場しました。

初代アサシン クリードは、これらの仕組みや世界設定の土台を作った一方で、ゲームとしてはまだ試作段階に近かったとされています。過去編のアルタイル・イブン・ラ・アハドと現代編のデズモンド・マイルズは、物語上の会話やプレイヤーが取り組むべき内容に乏しく、発想の新しさを十分にゲーム体験へ落とし込めていませんでした。原文筆者は初代を技術デモ、続編のアサシン クリード IIをコンセプトの実証と位置付け、そのうえで本作をシリーズの頂点であり、Ubisoftが自分たちの作りたいものを一時的に理解していた転換点と評価しています。

本作はアサシン クリード IIの直後から始まり、短いカットシーンのあと、早い段階で主人公エツィオに刃を持たせます。前作の終盤で手に入れた装備と高い体力を引き継いだ状態で始まるものの、それらはほどなく失われます。そのきっかけは、ありがちな回想や大災害ではありません。エツィオが恋人と過ごした直後、ボルジア家の襲撃を受け、半裸で武器も持たずに逃げることになるという、意外性のある展開です。

開始から30分ほどで、エツィオの一族が暮らすモンテリジョーニは破壊されます。親族の一部は命を落とし、残りは安全な場所へ逃され、エツィオは焼け落ちた土地を離れてローマへ向かいます。そこで復讐を果たすという目的が明確になり、ゲームの導入とシステムの説明が物語の進行から切り離されていません。原文筆者は、Ubisoftの作品では多数の仕組みを順番に説明するため、序盤が長くなりがちだと指摘しています。本作でも開始から5時間が経過した時点で新しい要素が提示されますが、それぞれが展開の速いストーリーに組み込まれているため、単なるチュートリアルとして浮いていないとしています。

ローマの制圧が生んだ手応え

本作で特に重要なのが、ローマ各地に存在するボルジア塔です。従来のビューポイントに相当する高所をただ登るのではなく、ボルジア家の兵士が守る塔や拠点を攻略し、隊長を倒してから塔を焼き払うことで周辺のマップ情報が解放されます。周辺のアイコンを表示するための作業が、敵の支配を一つずつ崩す行為として意味付けられている点が特徴です。

塔の周囲は角や遮蔽物が多く、複数の方法で侵入できるよう設計されています。見つかっても即座に失敗になるわけではなく、剣を抜いて戦うこともできますが、発見には明確な代償がありました。隊長はエツィオに見つかると逃走することが多く、逃げ込まれた場合は、衛兵の交代が起きる夜明けか夕暮れまで再挑戦できません。ステルスを守ることが単なるルール上の要求ではなく、敵を逃がさないための実利に結び付いています。

原文筆者は、初代から予告されていた自由度の高いステルスが、実際にはベンチに長時間座って待つことを求められたり、続編では雇った娼婦の集団に隠れたりする形にとどまっていたと振り返っています。ボルジア塔は、その不満を拠点攻略の形でまとめて解消した仕組みです。高所を調べるだけだった従来の作業が、敵の防衛線を突破し、地域を取り戻す一連の目標へ変わりました。

制圧の効果はマップ上の表示だけではありません。ボルジア家の影響力を取り除いた地域では、閉鎖されていた小さな商店を修復して営業を再開させられます。店は20分ごとに少額の収入を生み、プレイヤーが都市を変化させた結果を継続的に示します。物語の進行では、盗賊ギルドの拠点として酒場を整備したり、エツィオの母と妹が身を隠す場所として娼館を改修したりする場面もあります。

こうした再建は、敵の要人を倒すだけだった従来の進行に、目に見える変化を加えました。エツィオがローマで勢力を広げるほど、街に閉ざされていた施設が戻り、敵の支配が後退していきます。高所に登ってマップを開くという定型的な作業にも、都市を取り戻すという文脈が与えられました。原文筆者は、この仕組みによって、ボタン1つで処理する作業が物語上の成果として感じられるようになったとしています。

エツィオと仲間が都市を変える仕組み

ボルジア家の兵士が減るにつれ、ローマそのものの存在感も際立ちます。大勢の市民は街路を埋め、移動や会話を通じて隠れ場所として機能する役割が中心ですが、都市の建築や景観は強い雰囲気を持っています。原文筆者は、現存する建物に囲まれた都市を舞台にしたとき、シリーズのワールドビルディングが最も力を発揮すると説明しています。

本作のローマは、現在も認識できる建築物が並ぶ美しい都市として描かれ、後年のアサシン クリード ユニティまで、これほど豊かな都市空間はシリーズで並ぶものがなかったと原文筆者は評価しています。Jesper Kydによる抑制された幻想的な音楽も、現実に存在する場所としての感覚と、どこか現実離れした雰囲気を同時に支えました。エツィオが建物をよじ登る場面や標的を追う場面で弦楽器が響き、ローマの景観を単なる移動先ではなく、物語の一部として印象付けています。

さらに、本作を象徴するのがブラザーフッドのシステムです。エツィオは新たなアサシンを仲間に加え、訓練したうえで各地へ派遣し、ヨーロッパ全土に組織の影響力を広げていきます。これは本編とは別に進められるメタゲームでありながら、エツィオが世界を良い方向へ変えているという感覚を補強します。仲間を遠方へ送る行為が、単なる報酬獲得の手段ではなく、ローマの外にも組織が広がるという世界の変化につながっていました。

このシステムはシリーズから4年間姿を消したあと、アサシン クリード ユニティで復活しました。ただし、そのときはモバイル向けのコンパニオンアプリとして再登場したと原文筆者は記しています。本作では、都市の再建や拠点の制圧と同じく、プレイヤーの操作が世界の勢力図を動かす仕組みとして本編の中に組み込まれていた点が重要です。

年次制作が生んだシリーズの迷走

原文筆者が本作を高く評価する一方で、Ubisoftの制作体制には大きな問題があるとも指摘しています。多数のスタジオを抱え、成功したシリーズを毎年のように新作として送り出せることは、投資家にとっては強みです。しかし、今年の作品が発売されるころには次の作品の開発が始まっているため、仕組みの良し悪しを検証して改善へ反映するまでに少なくとも12カ月かかります。本作で機能していた要素が、なぜ機能したのかを考える時間が不足し、その後の作品ではアイデアだけが機械的に引き継がれたという見方です。

エツィオ三部作の最終作であるアサシン クリード リベレーションズは、その混乱の例として挙げられています。原文筆者は、同作がプレイヤーの求めるものをバットマンのようなガジェット中心のゲームだと誤解したかのように、道具へ過度に焦点を当てていたと批判しています。終盤のエツィオは、爆弾を基にした装備だけでも150種類ほどを持つことになり、タワーディフェンスや一人称視点のパズルまで追加されました。新しい遊びを増やすこと自体が目的化し、それらが一つの作品としてどう結び付くのかが置き去りにされた、という厳しい評価です。

この傾向はその後も続いたとされています。シリーズは毎年のように時代、舞台、主人公を切り替え、世界はより広大になった一方で、密度や手触りを失いました。配置される要素の数は増えているのに、世界そのものは空虚に感じられるようになったというのが原文筆者の見解です。ローマほど豊かな世界や、エツィオほど親しみやすい主人公をUbisoftが再び作れていない理由については、後続作品の主人公が十分な期間にわたって同じ世界に留まる機会を与えられなかったことも関係していると論じています。

アサシン クリード IV ブラック フラッグは、海賊ものとしては魅力的でしたが、アサシン クリードとしては温度の低い作品だったとも評されています。それでも12カ月後には主人公エドワード・ケンウェイが去り、プレイヤーは大西洋を越えたパリへ移動し、時代もほぼ1世紀進みました。次の舞台としてヴィクトリア朝のロンドンが用意されても、歴史上の場所を観光するだけではシリーズの核心になりません。

原文筆者が本作から見いだしている教訓は、舞台、物語、システムを別々に増やすのではなく、それらが互いを支える形で組み合わせることです。ローマの制圧、商店の再開、仲間の派遣、エツィオの復讐は、すべて敵の支配を崩して都市を変えるという目的に結び付いていました。だからこそ、後年のUbisoft作品に何度も引用された要素が、単なるチェックリストとしてではなく、プレイヤーの行動に意味を与える仕組みとして機能したのです。原文筆者は、2010年の本作を振り返ることで、シリーズが初めて、そして願わくば最後ではなく、複雑な要素を一つの方向へまとめることに成功した瞬間が見えてくると結論付けています。