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BioWareの20年を創業者と開発者が語るオーラルヒストリー、閉鎖報道を受けて全文公開

2026年10月22日 | #ゲーム紹介 | Game Informer

BioWareの20年を創業者と開発者が語るオーラルヒストリー、閉鎖報道を受けて全文公開

BloombergがEAでの大規模な人員削減のなかでBioWareが閉鎖されると報じたことを受け、Game Informerは同スタジオの歴史をたどるオーラルヒストリーを公開しました。誌面では284号(Mass Effect: Andromeda特集号)にのみ掲載されていた記事で、元編集長のMatt Bertz氏が執筆しています。内容は2016年12月の掲載時点までのBioWareの歩みです。創業者のRay Muzyka氏とGreg Zeschuk氏をはじめ、歴代の開発者や業界関係者が、医師2人が副業で始めた小さな会社がRPGの名門になるまでを語っています。

医師2人が始めたスタジオ

約20年前、Dungeons & Dragonsは精神的に不安定な若者の遊びと見られることもあり、RPGはゲームの中でも傍流のジャンルでした。そんな時代の1990年代半ばに、2人の医師が診療の傍らでゲーム開発会社を立ち上げます。

Muzyka氏とZeschuk氏は1970年代のカナダで育ち、早くからビデオゲームに親しみ、独学でプログラミングを覚えました。2人はアルバータ大学の無機化学の授業で出会い、医学部でも一緒になり、ベビーフットのテーブルを囲んで親しくなったそうです。3人目の共同創業者は同じく医師のAugustine Yip氏で、法人化後まもなく、カルガリーで専業の医師になるために会社を離れました。社名は「人間のためのソフトウェア」という意味で、医師3人で始めた会社という言葉遊びでもあります。この名前には、当時から「ブランドは作れない」と言う人が少なからずいたと2人は笑って振り返っています。

最初の仕事は酸塩基生理のシミュレーターなどの医療教育ソフトでしたが、教育や医療にお金を払いたがる人は少なく、特にカナダでは難しい市場でした。そこでゲームに転向します。最初のオフィスはZeschuk氏の自宅の地下室でした。面接で訪れたScott Greig氏は、医師2人がゲーム会社を始めると聞いて、本気なのかと部屋から逃げ出したくなったといいます。採用したスタッフの多くはゲーム制作未経験でした。James Ohlen氏はアルバータ州北部の小さな町でコミックショップを営み、D&Dのキャンペーンを運営していた人物です。キャンペーンには順番待ちができるほどで、その評判を聞いて採用したそうです。

Muzyka氏は、5年間は無給で、月に1度医師として働いて生活費やローンをしのいだと語ります。Zeschuk氏は、周囲も本人たちも一時的なものだと思っていた面があったと振り返っています。

BioWareは最初から2本のゲームを並行して企画しました。メカ戦闘ゲームのShattered Steelと、後にBaldur's Gateとなる、コードネームBattleground InfinityのRPG兼ストラテジーです。当時の世界のパブリッシャー上位10社をリストにして電話営業を続けたところ、20ページの事業計画と粗いプロトタイプだけで10社中9社が契約の意向を示したとMuzyka氏は話します。のちにInterplayのBrian Fargo氏は、デモの出来と2人の情熱、ジャンルへの理解に感心したと述べています。Feargus Urquhart氏は、2人が経営だけでなく開発にも深く関わり、Zeschuk氏自身がモデルをエンジンに取り込むツールを書いていたことが印象的だったと語りました。

Muzyka氏によると、BioWareは当初からストーリーとキャラクターを重視していました。それは当時の主流ではなく、悪手だと言う人も多かったそうです。Shattered Steelでもアクションゲームにストーリーを付け、終盤に取って付ける形ではあったものの、世界を完成させるために重要だったといいます。発売後は、店に居合わせて自分たちのゲームを買う客を眺めていたそうです。

Baldur's Gateの誕生

Shattered Steelの開発中、RPGの企画への反応は冷ややかでした。Muzyka氏は、RPGは死んだジャンルだと何度も言われたものの、競合のひしめく市場を避けられたことが有利に働いたと語ります。Battleground InfinityはRPGとRTSを合わせたような神々の物語で、Baldur's Gateのビューや操作方式はその名残だとUrquhart氏は見ています。最初に送られてきた内容では追加の契約を決めるに足りなかったものの、開発チームがデモを磨き続けたことで状況が変わりました。ちょうどInterplayがD&Dのライセンスを獲得していたため、Urquhart氏はD&Dのゲームにする案を提案し、最終的にFargo氏がデモを3分ほど見て契約を決めました。Fargo氏は、D&Dの根幹を理解し、細部にこだわる開発会社を求めていたと話しています。

Muzyka氏はBaldur's Gateを、ストラテジー要素を持つRPGと捉えていました。Command & ConquerやWarcraft IIの操作方法、Jagged Allianceの仲間が行動に反応する仕組みを参考にし、友人とD&Dを遊ぶ感覚を目指したそうです。Kevin Martens氏は、ダンジョンマスターとして卓上で遊んだ経験のない人は良いゲームデザイナーになれないと、今でも勧めていると話します。

発売が近づくと、Baldur's Gateは予定日に間に合わず、RPGがまだニッチだったためマーケティング部門も宣伝費を使いたがりませんでした。12月21日発売ではクリスマス商戦を逃しますが、Fargo氏は可能性が大きいとして延期を受け入れました。当時の売上予測は米国で7万本、欧州はゼロで、Urquhart氏はFargo氏に営業会議で「素晴らしい作品になる」と語ってもらったそうです。CompUSAは当初関心を示さなかったものの、発売後に各店が大量に売るなかで、同社のCEOが無償でもいいから商品を回してほしいとFargo氏に頼む事態になりました。Urquhart氏によると、最初に仕入れを断ったバイヤーは解雇されたそうです。Muzyka氏は、同時期のDiabloとともに、RPGに再び観客がいることを示したと見ています。

成功の規模を2人が知ったのは、印税の支払いが遅れていたため、かなり後のことでした。Zeschuk氏は、ある日老人病院で当直中に、BioWareで1日働いたあとに自分は何をしているのかと気づき、医師を引退する決断をしたと語ります。Muzyka氏はその1〜2年後に続きました。

Baldur's Gate IIとNeverwinter Nights

BioWareは、続編のBaldur's Gate II: Shadows of Amn、Neverwinter Nights、初のコンソール作品MDK2を並行して手がけました。Baldur's Gate IIの改善点は、UIや解像度の向上、ストーリーの引き締め、前作のキャラクターをインポートしてより高いレベルまで育てられるようにすることでした。エンジンをほとんど変えなかったため、開発を止める新機能が少なく、すぐ制作に入れたとZeschuk氏とMartens氏は話します。

Ohlen氏は、Final Fantasy VIIのキャラクター描写の方が優れているという指摘を受け、SquareSoftから最高のストーリーとキャラクターの座を奪うつもりで臨んだそうです。前作では仲間の性格が短い台詞を通じて描かれる程度でしたが、続編では人数を減らし、仲間全員に固有のエリアとストーリーを用意しました。一方、プレイヤーはどんな性別・クラスにもなれるため、1つのロマンスをどう描くかが難題だったとMartens氏は語ります。

内容は150時間分を想定していたのが、ボイス収録を待つ必要がなかったため最後まで追加が続き、約240時間になりました。メインストーリーの最速クリア記録は1時間58分だったそうです。その代償としてクランチは厳しく、Ohlen氏は机の下で寝て、着替えは同居人に持ってきてもらうほどでした。Martens氏は、当時から違和感はあったが他の方法を知らなかったと認め、自分たちの計画が人員や知識に見合わないほど大きかったことが一因だと述べています。それでもOhlen氏は、開発者として最も楽しい経験だったと語ります。本作は今もMetacriticの歴代PCゲーム評価で6位に入っています。

Neverwinter Nightsは、3版のD&Dルールによるキャンペーンに加え、ユーザーが自作の冒険を作れる編集ツールと、友人とオンラインで遊ぶ基盤を備えた野心作でした。BioWareにとって初の3D RPGで、DMクライアントまで含む大きな作品でした。Muzyka氏は、Will Wright氏から聞いたThe Simsのユーザー制作のピラミッドの考え方が着想の1つだったと話します。

しかし開発中にInterplayが崩壊し、BioWareはBaldur's Gate IIの印税を受け取れないまま、同社の最大級の債権者になっていました。Zeschuk氏は、InfogramesやAtari、Interplayを買収したTitus、Wizards of the CoastやTSRまで絡む交渉が半年間、数日おきに続いたと振り返ります。最終的に印税回収とNeverwinterの保護のために訴訟も起こしたものの、決着は円満だったそうです。Darrah氏は、数か月で資金が尽きかねない状況だったが社内の雰囲気には表れなかったと語り、Ohlen氏は失敗すれば会社の終わりだったと述べています。新しいパブリッシャーとしてAtariとの契約が決まった日は、全社で歓声が上がったそうです。

Ohlen氏はKnights of the Old Republicの作業を中断して、全社のライターを集めNeverwinter Nightsの完成に当たりました。Martens氏は、全社員が出荷作業に当たったのはこれが最後だったと話します。本作のツールはその後も長く影響を残し、Ohlen氏は最強の採用ツールだったと言います。Watamanuik氏は、Auroraエンジンを理解した世代のデザイナーがスタジオに入ったと述べ、最初のシネマティックデザイナーであるBrad Prince氏がエンジンを改造して初期のカットシーンを作った例を挙げました。Zeschuk氏は、のちにストーリー重視へ移りユーザー制作から離れたことについて、もっと力を入れたかったと心残りを語っています。

Star WarsとJade Empire

Neverwinter Nightsの完成が近づく頃、BioWareはStar Warsの開発の打診を受けます。Zeschuk氏とMuzyka氏は次作の候補としてMarvelのX-Men RPGやThe Lord of the Ringsの関係者とも接触していましたが、先のIPの候補を書き出したホワイトボードの一番上にStar Wars RPGと書くと、シニアチームは驚いたそうです。LucasArtsは映画の間の時代を提案しつつ、それでは創作上の制約が多いと説明し、コミックのTales of the Jediに基づく、映画の数千年前の時代を選びました。Hudson氏によると、制約をほとんど感じずに作れたそうです。目標は、ライトセーバー戦の振り付けのような戦闘システムと、映画的なカメラによるストーリー表現でした。

Watamanuik氏は、自分がRevanだと明かされる展開を、社内では当初、反応が薄かったと明かしています。Ohlen氏はThe Sixth SenseやFight Clubを分析して構成を学んだものの、これほど成功するとは思わなかったと言います。Flynn氏はこれを業界屈指のストーリーテリングの瞬間だと評価しました。

その後BioWareは、自社所有のIP育成に舵を切ります。カンフーを題材にした企画は、Baldur's Gateの頃から構想があり、映画を吹き替えたデモまで作っていました。Fargo氏はBioWareにもっと良い使い道があると考え、受け入れませんでした。2000年の映画Crouching Tiger, Hidden Dragonで方向性への自信が固まったそうです。そうして生まれたJade Empireの最大の課題はリアルタイム戦闘でした。Zeschuk氏は、格闘ゲームの専門知識がなく、感触について語る共通言語すらなかったと話し、Darrah氏は、今見ると戦闘はぎこちないと認めています。Martens氏は、ディレクターとして初めて任された作品で、アニメーションシステムの設計を誤り、背後に回って殴り続けるだけでクリアできるほど浅くなったと反省しています。一方、Muzyka氏は美しい美術と魅力的なストーリー、条件を満たしたときだけ辿り着ける隠れた背景を持つキャラクターを誇りに思うと語りました。Zeschuk氏は、本作を旧来型RPGから新しいRPGへの転換点と位置付け、Xbox 360のローンチに合わせて延期していれば、とも考えるそうです。

続編は現代世界の設定も検討するなど、方向性が定まらないまま時間が過ぎました。Martens氏は最終形こそ成功しえたが遅すぎたと自分の責任を認めています。その後、同時進行していた5本のプロジェクトを中止し、Mass EffectとDragon Ageに集中する決断を下しました。Martens氏は悔しさと、それが正しい判断だという理解の両方があったと述べます。Laidlaw氏は続編の可能性は消えていないと語り、Flynn氏も、世代を飛ばした復活ならば革命になりうると、今も社内で話題になることを明かしています。

資本提携、EA買収、MMO

Jade Empireの制作が一段落した2005年、2人はMMORPGの開発、新スタジオの設立、新IPへの投資に資金が必要になり、外部からの出資の申し出を真剣に検討し始めます。買収の打診は毎年のようにあり、Muzyka氏のもとにはその資料が溜まっていましたが、Elevation Partnersは経営を任せたままにする点などで違いました。同社はPandemic Studiosとともに出資し、2人はこの時期を最も楽しかった時期の1つだったと語ります。

2年後の2007年、Elevation Partnersの創業パートナーでEAのCEOになっていたJohn Riccitiello氏が、8億6,000万ドルでBioWareを買収しました。Muzyka氏によれば、金銭面だけでなく、パブリッシャーとして自由度や世界的な展開力を得られる点、従業員に流動性をもたらせる点も理由でした。Flynn氏は、買収が発表された会場で社員から驚きの声が上がり、EAが買収したスタジオを閉鎖してきた前例から強い不安があったと語ります。それでも創業者への信頼が支えになり、Riccitiello氏がカナダまで来て誠実に説明したほか、EAがスタジオの独立性を重んじる方針だったことも安心材料になったそうです。Muzyka氏は、EAの買収前の予測を後に見たところ、ほとんどの面で上回ったと述べています。

MMOの構想は、World of Warcraftの登場後に現実味を帯びました。Ohlen氏によると、候補にはDragon AgeやGame of Thrones、Dark Tower、さらにThe Silmarillionまで挙がり、Elevation PartnersのBonoがChristopher Tolkien氏に電話をかけようとしたが、取り合ってもらえなかったそうです。最終的にはStar Warsが選ばれ、Ohlen氏がテキサス州オースティンの新スタジオに派遣され、Richard Vogel氏、Gordon Walton氏とともに、10人から約400人まで拡大しました。

Zeschuk氏は、MMOは習慣になるジャンルで、そこに割り込むのは難しいと述べます。エンドゲームが薄いことは承知していたものの、Blizzardが築いた期待に結局合わせざるをえなかったとも話しました。Muzyka氏は、比較されるのは発売時点ではなく現在の他社のMMOなので、早くコンテンツを増やす必要があったと語ります。Ohlen氏は、Star Wars: The Old Republicは望んだほどの成功ではなかったものの、新スタジオを立ち上げて5年で異ジャンルの作品を出したことを誇っています。1億5,000万ドルとされる開発費についてはZeschuk氏もMuzyka氏も、EAの非公開情報として確認していません。Zeschuk氏によれば、WoW級を期待されたため評価が厳しくなったものの、現在も非常に好調で、一時は200万人がプレイしていたそうです。

Mass EffectとDragon Age

Mass Effectは、ZeschukとMuzyka、Casey Hudson氏がギリシャ料理店で交わした「巨大なスペースオペラを作りたい」という話から始まりました。Flynn氏によれば、当初から3部作として構想され、ストーリーの大きさと成長の大切さからそうしたそうです。Hudson氏は、クルーを集め、船で銀河を旅し、未知の惑星を探索する面を強く押し出したかったと言います。Flynn氏は、恋愛や人間関係を大人向けにし、単純な善悪でなく難しい道徳的選択を描くことを狙ったと語ります。

Muzyka氏は、3部作と宣言したのは注目を集める狙いと、長期的に続ける意思を示す目的があったと説明します。Zeschuk氏は、Microsoftが Halo に似すぎていると懸念し、「宇宙の外交官」のような非対立的な方向へ誘導しようとしたと笑います。BioWareは自社IPなので、Shepardは強い人物のままでいくと断ったそうです。発売の2か月前に戦闘システムやインターフェースを大幅に変更し、Microsoftを驚かせた一方、同社のユーザビリティ調査は貴重だったとも述べています。Hudson氏は、ファンから闘病中にプレイして支えられたと聞くことがあると語ります。

続編のMass Effect 2では、技術面の弱点を改善しました。Muzyka氏によると、Unreal Engineの最新版を再統合してフレームレートや不具合が改善し、Flynn氏によると、Call of Duty 4やGears of Warなど当時のシューターの流れを受けて、確立された射撃の仕組みを採用し、RPGらしさは別の部分に置いたそうです。Watamanuik氏は、仲間を危険にさらさなければ使命を果たせない構図が核だと話します。本作はMetacritic 96で、BioWare最高の評価でした。

Mass Effect 3については、Flynn氏が、批評家の評価は高く、EAも満足していたが、発売約1週間後からエンディングへの批判が急速に広がったと振り返ります。Watamanuik氏は、エンディングには約4,200万通りの組み合わせがあったのに、最後の30秒だけに注目が集まったと述べました。Zeschuk氏は、選択や物語を操る感覚が失われたと感じさせたのが根本的な問題だと分析しています。業界の一部から当初寄せられた支持は、パッチによる修正を表明すると反発に変わったとMuzyka氏は語りました。Watamanuik氏は、結末は変えず新しい結末も加えず、補足説明を増やしたのだと説明しています。

Dragon Ageは、Baldur's Gateに代わる自前の作品を作りたいというOhlen氏の思いから生まれました。Darrah氏によれば、Neverwinter Nights完成直後から開発が始まり、マルチプレイの有無やPC専用か否かで方針が揺れ、物理エンジン派とツール重視派など社内の方向性も割れていました。Muzyka氏は、焦点が絞られて素晴らしいゲームになったと語り、Darrah氏はIPの確立に成功した一方、Grey Wardenを宣伝で強調しすぎたとも述べます。

Dragon Age IIは、SWTORが苦戦していたことなどもあり、約14カ月という短期間で作られました。Darrah氏は、1人の主人公と家族を描く個人的な物語を意図したものの、最大の過ちは同じ環境を別の場所と偽って使い回したことだと認めています。Laidlaw氏は、前作に比べて満足度の低い続編、アクションに偏って単純化されたという評価に反論しないと述べました。Zeschuk氏とMuzyka氏も、簡素化しすぎたと認めています。Laidlaw氏は、期待に応えられなかったことに責任を感じているそうです。

創業者の引退と次世代

Mass Effect 3の発売から約半年後の2012年、2人は引退を発表します。Zeschuk氏は、エンディング騒動は理由ではなく、20年間打ち込んで目標を果たしたからだと述べました。Muzyka氏も、疲れはあったが前向きな意味での区切りで、現在は社会的事業やITなどに投資していると言います。Zeschuk氏は「BioWareのビールを作りたい」と冗談めかしています。Watamanuik氏は、社員の多くがその2人から直接採用されただけに、時代の終わりだったと語りました。Muzyka氏は後継チームが引き継げる状態だと感じていたと言い、Ohlen氏は後任のAaryn Flynn氏に2人の長所を見ると評しています。

創業者不在で初の大作となったDragon Age: Inquisitionは、Dragon Age IIの教訓に応え、BioWareの実力を示すことが求められました。Laidlaw氏は、Frostbiteへのエンジン移行と5プラットフォーム展開が大変だったと語り、Flynn氏は、EAに買収されたスタジオは潰されるという噂を覆す決意があったと話します。Darrah氏は、探索の要素を取り戻せたことをよかったと評価しました。Laidlaw氏は、Skyrimのようなオープンワールドだけを作るつもりはなく、物語を重視したと述べます。Muzyka氏は発売前から関わらずにプレイした初のBioWare作品であり、最高傑作だと語り、Flynn氏は、BioWare史上最も成功した発売だったと述べました。本作は高い評価を受け、Game Informerを含む複数のメディアでゲーム・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。

当時の見据えた将来

2016年当時、BioWareはMass Effect: Andromeda、Dragon Ageの次作、SWTORの継続、エドモントンで開発中の新規IPを進めていました。Muzyka氏は、チームがさらに大きなことを成し遂げるだろうと述べ、BioWareを自分の子どものような存在だと語りました。Watamanuik氏は、人々の記憶に残るのはプロットよりキャラクターで、Garrusのように想定以上に愛された例を挙げ、WrexやTaliも覚えられるだろうと話します。Darrah氏は、基盤技術の構築に追われる状況が落ち着き、より洗練された体験を届けられると見通し、Flynn氏は、新しい技術で、より良い物語を語り続けたいと締めくくりました。