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『Grand Theft Auto』の時系列は重要ではない 各作品は単独で成立する

2026年09月20日 | #その他 | Polygon

『Grand Theft Auto』の時系列は重要ではない 各作品は単独で成立する

『Grand Theft Auto』シリーズは作品同士のつながりを追わなくても楽しめる――原文筆者は、公式に区分された時代ごとの設定を認めつつも、プレイ前に過去作をすべて把握する必要はないと論じています。作品間の連続性は世界に厚みを与える一方、シリーズの本質は、毎回ゼロから始まり、それぞれの物語を単独で味わえる点にあるとの見方です。

3つの時代に分けられたシリーズ

Rockstar Gamesはシリーズを、2D時代、3D時代、HD時代という3つの別々の時代に分けています。2D時代には初代Grand Theft Autoとその拡張版、続編が含まれ、3D時代にはGTA 3、Vice City、San Andreasと各スピンオフが該当します。HD時代にはGTA 4、GTA 5、GTA 6、GTA Onlineと、それぞれの拡張・スピンオフが含まれます。

この区分によって、時代をまたいだ設定の食い違いを説明できます。たとえば、GTA 2 – The MovieとGTA 3にはどちらもClaudeという名前の人物が登場しますが、同一人物ではありません。各時代には共通する場所や要素が存在し、ラジオパーソナリティのLazlowのように3D時代とHD時代の両方に登場する人物もいます。しかし、時代をまたぐ物語そのものはつながっていません。

一方、同じ時代に属する作品同士には、比較的明確な出来事の順序があります。大きな矛盾や重複がないため、同一の時系列に置くこと自体は可能です。ただし、原文筆者は、その順序を守ることに実用的な意味はほとんどないとしています。GTA 6に入る前に、過去作を発売順や年代順で追いかける必要はないということです。

毎回ゼロから始まるゲームデザイン

原文筆者は、このシリーズをThe Legend of ZeldaやThe Elder Scrollsと同じ、強く連続化されていないゲームの系譜に位置づけています。これらの作品では、過去の物語を積み重ねることよりも、新しい世界でプレイヤーが最初から成長していく体験が重視されます。主人公や世界を完全にリセットできることは、作品のファンタジーを成立させるための前提でもあります。

The Elder Scrollsではプレイヤー自身が主人公を作り、The Legend of ZeldaではLinkが詳しい過去を持たない archetype、つまり物語を受け入れる余地の大きい存在として描かれます。それに対して本作の主人公たちは、固有の過去や個性を持っています。それでも彼らは、物語の開始時点では社会の底辺にいるか、GTA 5のMichaelのように一度成功したものの、そこから退いた状態に置かれています。

そのため、主人公とともに下から上へ進んでいく構成が可能になります。原文筆者は、シリーズが描いてきたものを、アメリカンドリームを風刺しながらも完全には否定しない自己実現の物語だと説明しています。限界なく成り上がる感覚を実現するには、各作品が自立した物語として始まり、主人公が新たに出発できなければなりません。GTA Onlineにおける、強欲がむき出しになった無法な祝祭は、その考え方が行き着いた形だとしています。

つながりが生む世界の厚み

もっとも、作品が同じ世界の連続性を持つことで得られるものもあります。過去作の出来事や人物が背景に残ることで、舞台はより豊かで、実際に人々が暮らしている場所のように感じられます。

具体例として挙げられているのが、GTA 4の拡張版The Lost and DamnedとThe Ballad of Gay Tonyです。これらは本編と同じLiberty Cityを舞台にし、本編の主人公たちが活動している場所からわずか数ブロック離れた場所で、別の出来事が進んでいたことを描きます。単なる後日談ではなく、同じ都市で複数の人生が並行していたと分かる点が、世界に奥行きを加えています。

作品をまたいだ人物の再登場は多くありませんが、まったく存在しないわけでもありません。The Lost and DamnedのJohnny KlebitzはGTA 5に登場し、そこで凄惨な最期を迎えます。より一般的なのは、脇役のカメオ出演や、過去の出来事をほのめかす台詞です。こうした要素は物語を理解するための必須条件ではなく、気づいたプレイヤーが世界のつながりを感じられる仕掛けとして機能します。

時系列ではなく「コラージュ」としての物語

原文筆者が最も近い比較対象として挙げるのは、犯罪小説家Elmore Leonardの作品です。Get Shorty、Rum Punch、Out of Sightなど、Leonardの小説はそれぞれ独立した物語ですが、脇役や、ときには主人公が別の作品に予期せず登場します。作品単体で完結しながら、同じ世界の一部だと感じさせる人物の再登場が、独特の現実味を生み出しているという説明です。

この手法は、Leonardの影響を受けたQuentin Tarantinoの映画にも見られます。たとえばMichael Keatonは、Leonard原作の映像化作品であるTarantino監督のJackie Brownと、Steven Soderbergh監督のOut of Sightで、同じFBI捜査官Ray Nicoletteを演じています。作品同士を厳密な長編シリーズとして連結するのではなく、登場人物や背景をゆるやかに共有させる方法です。

原文筆者は、本作の世界もこの「コラージュ」に近いとまとめています。どの作品から入るか、どの順番で物語を体験するかは決定的な問題ではありません。各作品は単独で成立し、それぞれの主人公が新しい出発点から成り上がっていきます。そのうえで、作品同士が少しだけ響き合うことで、単独では得られない世界の厚みが加わる――それが、厳密な時系列を追うよりも重要なシリーズの魅力だとしています。