Resident Evil映画はゲームの「ボス誕生譚」を逆向きに描く
Zach Cregger監督のResident Evil映画は、ジル・バレンタインやレオン・S・ケネディを登場させるのではなく、ゲームに登場する怪物が生まれるまでを描くことで、シリーズの本質に迫った作品だと原文筆者は評しています。批評家からは歴代でもっとも高く評価されたゲーム原作映画とされる一方、ゲームファンの間では、既存キャラクターや有名な場面をほとんど使わない方針が賛否を呼んでいます。以下では結末を含む内容に触れます。
既存キャラクターを使わず、シリーズの構造を再現
物語の主人公は、医療品らしき正体不明の荷物をラクーンシティへ届けることになった運び屋のBryanです。街に到着した彼がゾンビの蔓延する状況に巻き込まれるという筋書きは、STARSやレオンとは直接関係しません。しかし原文筆者は、この設定をシリーズの精神に忠実なものと見ています。
特に近い存在として挙げられているのが、2003年にPS2で発売されたResident Evil Outbreakです。同作は、外科医や、臆病な地下鉄職員など、特殊部隊員ではない一般人たちの生存劇を描く作品でした。Bryanもまた、ゾンビ災害に突然放り込まれた普通の人間です。彼の物語は、既存シリーズの本筋を映画化したものではなく、ラクーンシティで起きた別の生存者の記録として見ることができます。
映画で起きる個々の出来事は、どのゲームのストーリーとも一致しません。Bryanが鍵のかかった場所に何度も行く手を阻まれたり、ゾンビ犬と戦ったりする場面には、ゲームを思わせる露骨なユーモアがありますが、その多くはCregger監督が独自に作った状況です。それでも、閉所から始まり、ラクーンシティの街へ出て、下水道を通り、最後にUmbrella Corporationの研究施設へ向かう構成は、シリーズ作品として非常に見慣れたものになっています。
ゲームファンが期待しがちなジルやレオンの実写化を避けたことは、ファンの不満につながりました。一方で原文筆者は、映画が人物や場面の再現ではなく、プレイヤーが何度も体験してきた進行の型を再現している点に注目しています。本作における原作再現は、知っているヒーローを画面に呼び戻すことではなく、ラクーンシティを進み、障害を越え、研究施設の奥で異形の敵に行き着く体験を組み立て直すことなのです。
ゲームの英雄なら成功する場面を、一般人の失敗として描く
Bryanの立場を理解するうえで重要なのは、彼が秘密工作員でも熟練した警官でもないことです。原文筆者は、彼をResident Evil 7の主人公Ethan Wintersに近い、巻き込まれ型の一般人として位置づけています。映画の途中でBryanが、クリス・レッドフィールドを思わせる超人的な警官と出会う場面は、その違いを視覚的に示す場面です。
その警官は、大勢のゾンビを相手にしてもほとんど動かず、長時間にわたって銃を撃ち続けます。ゲームのヒーローなら成立する、いわゆる戦車のような操作感を思わせる動きです。原文筆者は、シリーズの英雄たちにとっては簡単に見える行動を、普通の人間が実行したらどうなるのかという疑問を、映画全体の繰り返しのギャグにしています。
Bryanは、ドアの鍵を銃で撃ち抜くことも、トラックで柵を突破することもできません。ロープを使って納屋から劇的に脱出しようとしても、格好よく着地するどころか地面に叩きつけられます。レオンのような人物なら危機を突破できる場面で、Bryanはほぼ毎回失敗します。これは単なるドジな主人公の描写ではなく、ゲームのプレイヤーが操作する英雄と、現実の一般人との能力差を笑いに変えたものです。
その性格がもっともはっきり表れるのが、映画序盤のRVの場面です。家を出たBryanは、車内に隠れていた怯えた子どもを見つけます。この場面は、Resident Evil 2でクレア・レッドフィールドが孤児の少女を救出する展開を直接思わせるものです。Bryanにも同じように英雄になる機会が与えられますが、クレアのように冷静に行動できるはずもなく、救出は完全な失敗に終わります。原文筆者は、この場面を、ゲームの主人公なら成立する勇敢な場面を普通の人間に再演させた結果として捉えています。
Umbrellaの失敗が生み出す「ボス」
Resident Evilのゲームでは、死者が残したメモや研究記録を読むことで、惨劇の背景が明らかになります。その記録の中では、Umbrella Corporationの構成員や研究者が、危険な実験を繰り返した末に自滅した間抜けな人物として描かれることも少なくありません。サメを使った愚かな実験など、明らかにろくでもない結果を迎える研究の記録を読んで、プレイヤーが苦笑する場面もシリーズの特徴です。
映画は、この「災害の原因があまりにも間抜けだった」という要素を、研究者たちの実演によって強調します。終盤に登場するUmbrellaの科学者たちは、ゲーム内の記録が示してきた人物像と同じく、無能で判断力に欠けています。ウイルスがラクーンシティ全体へ広がった理由も、壮大な陰謀というより、誰かが治療薬を落としたような単純な失敗にあります。原文筆者は、シリーズがこれまで断片的に示してきた「ゾンビ・アポカリプスは失敗の連鎖で起きた」という設定を、映画が目に見える形にしたと説明しています。
本作の結末では、Bryan自身がゲームのボスへ変貌します。物語の中盤、彼はゾンビ化した子どもに噛まれ、ラス・プラガスとTウイルスを組み合わせたような寄生性のウイルスに感染します。その後、体の変異が進行するなか、治療薬を注射してもらうために行動しますが、最終的に治療は間に合いません。怪物としての本能に支配されたBryanは、Umbrellaの科学者たちを殺害します。
最後に映し出されるのは、片方の肩から巨大な眼球が突き出した、Resident Evil 2のボスを思わせる巨大な怪物です。ゲームでプレイヤーが遭遇するボスには、元は普通の人間だった人物も少なくありません。研究記録やメモを読みながら、その人物がどのように生物兵器へ変わったのかを想像するのが、シリーズの定番でした。
プレイヤーが読む記録を、映画の出来事として逆再生
映画では、Bryanが恋人へ向けて最後の別れのメッセージを録音します。この録音は、ゲーム内でボスの過去を知るために拾う収集記録のような役割を持ちます。原文筆者は、これをゲームの進行に置き換えると、駐車場で血痕のそばに置かれた携帯電話を見つけ、死を目前にした人物の録音を聞き、その血の跡を追って研究施設へ進む展開に相当すると説明しています。
通常のゲームでは、プレイヤーは主人公として研究所へ入り、記録を手がかりにして、最後にボスと対決します。しかし本作では、そのボスになる人物の側から同じ過程を描きます。主人公が残したメッセージは、後から誰かに拾われるかもしれない収集物になり、彼の死体が積み重なる場所は、プレイヤーが攻略するステージへ変わります。映画は、ゲームのボス戦へ至る物語を、ボスが生まれるまでの悲劇として逆向きに再構成しているのです。
Bryanのキャラクターが十分に決着したとは言いにくく、彼の人生や恋人との関係が満足のいく形で完結するわけでもありません。それでも原文筆者は、その未解決さ自体が映画の大きな冗談を成立させていると評価しています。普通の人間が感染し、失敗を重ね、最後にはゲームの画面で倒される怪物になる。本作は、ゲームの物語をそのまま映画化するのではなく、ゲーム内で何度も見てきた出来事を、怪物側の視点から描いた作品だというわけです。