『ゼルダの伝説 時のオカリナ』リメイクを2026年に初プレイ、数時間で心を奪われた筆者の印象
2026年11月07日 | #ゲーム紹介 | Polygon
Nintendoによる『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のリメイクを、2026年に初めて遊んだ筆者の体験記です。プレイは数時間にとどまりますが、おとぎ話のような愛らしい住人たち、複雑さを抑えた戦闘、コンパクトなオープンワールドに強く惹かれたといいます。自分のものではない記憶に郷愁を覚えるような感覚があった、と語られています。
ゼルダ初心者が選んだ入口
筆者はゼルダシリーズ未経験者というわけではなく、シリーズは大きな盲点だったそうです。子どものころはブロックパズルも弓が中心のゲームも苦手で、今も好きではないものの、我慢できるようにはなったとのことです。何度か挑戦して挫折した末、初めて深くはまったのが2023年の『ティアーズ オブ ザ キングダム』でした。『ブレス オブ ザ ワイルド』では途中で離れていたため、断崖を苦労して登らずに済むAscend(トーレルーフ)の能力に魅力を感じたそうです。決め手になったのは、HatenoとLurelinの村のクエストと、その結果として町が大きく変わっていく様子でした。
その後は『ブレス オブ ザ ワイルド』、さらにSNES時代の『神々のトライフォース』まで遡り、3作とも気に入ったといいます。ただ、筆者のゼルダ体験はそこで止まっていました。
90年代の空気と2026年のビジュアル
新規で始めると、2026年らしい緻密なビジュアルとともに、90年代の懐かしさがあふれてきます。眠そうな主人公、賢く話す大樹、20分もすれば背景に溶け込んでしまう手ごわそうな村の子どもたちといった具合です。筆者は、話題になったリメイクのビジュアル刷新に当初は否定的でしたが、30分ほどで考えを改めたと認めています。
気に入った点として挙げられているのは、『マペットショー』のジャニスのような前髪のコキリ族の子どもたち、老人のような眉毛の枝を持つデクの樹サマ、初めてリンクに鼻先を寄せるエポナのビロードのような顔、ハイラル城下町にいる白いテリアのリチャードの編み込まれたドレッドヘアなどです。いずれも大好きだと語っています。
子供時代のリンクは、筆者の目には「出かける前にトイレは大丈夫?」と声をかけたくなる子どもに見えるそうです。ただ、それがNintendoの作り出した子どもらしい驚きの感覚を強めているとも述べています。ハイラル城でゼルダの中庭を目指し、茂みに隠れ、花壇を駆け抜ける日差しの中の楽しさを通じて、この作品が長く愛されてきた理由が少し分かった、とのことです。
複雑にしない戦闘と小さな世界
1998年のNINTENDO64版『時のオカリナ』は、ロックオン式の3D戦闘を初めて取り入れたゲームでした。現在では直感的で見慣れた仕組みですが、当時は前例がなかったものです。リメイクでは、ジャストガードやパリィのような要素を足して戦闘を「現代化」する誘惑に流されていません。リンクの防御手段は、盾を構える、横に跳ぶ、バック宙、逃げるの4つです。シンプルで楽しく、とっつきやすく、生まれて数か月のような見た目の主人公にもよく合っていると筆者は評価しています。
ひと口サイズのオープンワールドも新鮮だったそうです。細部まで丁寧に作り込まれていながら、N64時代のアスレチック的な環境デザインの気質がはっきり残っています。水辺はどこも少し水遊びをしたくなる場所になっており、『神々のトライフォース』ではあり得ず、『ブレス オブ ザ ワイルド』では当たり前すぎて意識されないものだといいます。N64版は未プレイですが、Switch 2版を遊ぶと、『スーパーマリオ64』でピーチ城の外周を探索し、堀に飛び込んだり橋の下をのぞいたりした記憶がすぐによみがえったそうです。
また、ハイラル平原を剣を振りながらよちよち歩いても、何十個もの光る目印に注意を奪われないことを、とてもうれしい点として挙げています。45個のBlunderlilyを集めたり、67種類あるキノコから特定のレシピ用のものを探したりする必要はありません。茂みを切ってルピー1つ、あるいは何も出なくても、ほっとするとのことです。クラフト要素そのものが嫌いなわけではないものの、近年のオープンワールドでは使われすぎている感があり、同じように感じる人は少なくないだろうと述べています。
初めてなのに知っている場所
Nintendoは、使い込んだぬいぐるみのように親しみやすく、それでいて初めて触れる人にも間口が広いゲームを作る技術があると筆者は見ています。その大部分は、飾り気のない神話的な語り口によるものです。ゾーラは常に泳ぎが得意で、ゴロンは常にとてもお腹をすかせていて、緑の服を着て剣を持った少年が常にいます。実際には一度も行ったことがなくても、自分がどこにいるのかが分かるのだといいます。
多くのプレイヤーや批評家が主張するように『時のオカリナ』は史上最高のゲームなのか、という問いについて、筆者はまだそこまでは至っていません。数時間遊べば考えが変わるかもしれないとしつつ、少なくとも非常に優れたゲームであることは間違いないと結んでいます。