『ペルソナ5』が示したRPGの成熟と社会を変える個人の力
2026年09月21日 | #ゲーム紹介 | Polygon
発売から10年を迎えた『ペルソナ5』は、シリーズの人気を拡大しただけでなく、現代社会と人間のアイデンティティを描くRPGとして、ペルソナシリーズの方向性を大きく押し広げました。派生作品や関連展開が続いた背景には、洗練されたゲームシステムやスタイルに加え、個人の内面だけでなく、学校や家族、企業、政治といった社会の仕組みが人を形作るという、成熟したテーマがあります。
シリーズの集大成として確立した独自のスタイル
本作は、ペルソナ3から続くカレンダーシステムや人間関係を深めるソーシャル要素、ペルソナ4から受け継いだターン制バトルを土台にしています。完全に新しいゲームシステムを発明したわけではありませんが、従来の要素を大幅に洗練し、シリーズの個性を最も強く打ち出した作品となりました。
ダンジョンは過去作より複雑になり、プレイ中の不便を減らす機能も充実しています。そこにスタイリッシュな画面構成、都会的な色使い、物悲しさを帯びたジャズの楽曲が組み合わさり、ゲーム全体に一貫した表現を与えました。システム、演出、音楽が別々に機能するのではなく、作品のテーマを支える形でまとまっていた点が大きな特徴です。
その結果、本作は単にアトラスの技術的な進歩を示す作品ではなく、同社が人間や社会を考察するうえでの、芸術的・知的な成長も示すタイトルになりました。日本での発売後には、拡張版のペルソナ5 ザ・ロイヤル、直接的な続編であるペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズ、ペルソナ5 ダンシング・スターナイト、ペルソナQ2 ニュー シネマ ラビリンスといった派生作品も展開されています。ひとつの作品が、ゲーム本編の外側にも広がる基盤を築いたことが分かります。
個人の内面から社会の構造へ
ペルソナシリーズは、もともと人間社会やアイデンティティへの関心を作品の中心に置いてきました。ペルソナ3では、死を避けられない存在として受け入れながら、生きる意味を探すことが描かれています。登場人物たちは、死と向き合う出来事を通じて、自分が何者なのかを考えざるを得ません。
続くペルソナ4では、稲羽市で起きる殺人事件の捜査と並行して、登場人物たちが自らの「影」と向き合います。影は、本人が隠したいと願う内心や感情を表す存在です。ここで焦点となるのは、個人の中にある認めがたい部分であり、シリーズは人間の精神を比較的形而上学的な視点から掘り下げていました。
それに対して本作は、人間の本質が個人の内側だけに存在するとは考えません。人のアイデンティティは、他者との関係や社会制度との関わりによっても形作られるという視点が、物語全体に組み込まれています。学校での立場、家庭内の関係、職場や企業での役割は、それぞれが人の生き方や自己認識に影響します。怪盗団が変えようとするのは、登場人物の心だけではなく、その心を押さえつけている環境そのものです。
敵役が映し出す現代社会の制度
物語に登場する主要な敵役の多くは、現代社会の制度や組織と結び付いています。鴨志田は生徒を支配する虐待的な教師として描かれ、斑目は家族関係と文化・芸術の世界を象徴します。奥村は企業社会やビジネスの論理を体現し、獅童は権力を利用する腐敗した政治家として登場します。
彼らは、単に個人的な悪意を持つ人物として配置されているのではありません。社会的に高い地位を持ち、その立場を利用して他人の人生に影響を及ぼす人物です。たとえば鴨志田は、教師という権威を使って竜司を周囲から孤立させ、本人だけでなく周囲の生徒たちの行動まで支配します。この構図では、問題の原因を一個人の心の中だけに求めることはできません。権力を持つ人物と、それを許容・維持する環境の両方が問われます。
そのため、怪盗団の目的は、自分たちの内面にある問題を克服することに限定されません。社会のなかで権力を持つ者が他人を抑圧し、その状態が当たり前として受け入れられているなら、変えるべき対象は社会そのものです。本作が描く「改心」は、個人の精神的な救済であると同時に、制度や集団のあり方を問い直す行為でもあります。
それでも変化を起こすのは普通の人々
社会の構造を重視する視点は、個人の力を否定するものではありません。むしろ、主人公と仲間たちは、自分たちの声を見つけたあと、現状に異議を唱える側へと進みます。彼らは社会を一人で支配する特別な存在ではなく、抑圧を受けた普通の人々として、既存の秩序に抵抗します。
この考え方には、一般の人々の行動が社会の変化を生むという、楽観的な部分もあります。しかし、その楽観は「個人が努力すれば何でも解決できる」という単純なものではありません。人は他者や制度に影響される一方で、他者とつながり、声を上げ、関係を組み替えることで環境に働きかけることもできます。本作は、個人と社会を対立する別々の存在としてではなく、互いに影響し合うものとして描きました。
後続作にも受け継がれた反抗の思想
このテーマは、2024年にスタジオ・ゼロの代表として橋野桂氏が手掛けたメタファー:リファンタジオにも通じています。同作では、個人よりも人々の集団が重視され、ひとつの国家における政治が主要な関心となっています。それでも、世界を変える可能性を個人に認める姿勢には、本作から続く考え方が見られます。
メタファー:リファンタジオの登場人物たちは、自分の本心を隠すのではなく、それを世界に示すために胸から心を取り出します。この表現は、本当の自分に忠実であることが、他者や社会に働きかける力につながるという思想を象徴しています。本作が示したのは、華やかなUIや印象的な音楽だけではありません。人間のアイデンティティは社会の中で作られ、だからこそ社会を変える行動もまた、個人の意思から始まるという見方でした。