『Fire Emblem: Fortune's Weave』支援会話は数より人物のつながりを重視
『Fire Emblem: Fortune's Weave』では、キャラクター同士が会話できる組み合わせや支援会話の段階が少ないことに、驚きや不満を示すプレイヤーがいる。特定の人物には支援相手がほとんどおらず、会話の連鎖も短いからだ。しかし原文筆者は、これは欠点ではなく、意味の薄い会話を減らしてキャラクターの関係性に集中した結果だと評価しています。本作の支援会話は、誰とでも話せることより、誰と話すべきかを重視しているとの見方です。
支援相手を増やさない理由
プレイアブルではない4人のFlame Lords、Orchel、Talimun、Anatolia、Bertrandを除くと、支援相手の少なさをめぐって特に名前が挙がるのはGuzranとCataniaです。Guzranは将来有望な若者を鍛えることを好む人物ですが、Caiの部隊にいる仲間とは支援会話がありません。CataniaはCydonia Massacreによってすべてを失った過去を持つ一方、Ledaの存在に一度も触れません。
原文筆者は、約2カ月にわたって本作を遊ぶなかで、Intelligent Systemsがゲーム全体から「時間を埋めるだけの要素」をできるだけ取り除いていると感じたとしています。その方針は戦闘やクエスト、ダンジョンだけでなく、人間関係やキャラクター描写にも及んでいるとのことです。あるルートでクリアしたクエストが別のルートでも自動的にクリア済みになる仕組みも含め、同じ内容を何度も見せない設計が採用されています。
GuzranがCaiたちと会話しないのも、その考え方で説明できます。彼が知りもしない若者たちを相手に自分の武勇伝を語っても、からかわれたり、Tiallaを苛立たせたりするだけでしょう。彼らはGuzranの指導を必要としておらず、そうしたやり取りから新しい人物像が見えてくる可能性も低いからです。
その代わり、Guzranの自慢話は月ごとの会話に組み込まれ、意味のある情報を伝える支援会話は、彼が実際に関係を持つ人物との間に割り当てられています。たとえばMikaelaとは知り合いとしての背景があり、Guzranが関心を向ける若者も、見知らぬ部隊の少年少女ではなくMikaelaの娘であるMuです。このつながりなら、彼がMuを気にかける理由にも説得力があります。誰とでも会話できるようにするより、人物同士の関係に基づいて会話を配置したほうが、描写として自然だというわけです。
背景設定が会話の有無を決める
LedaとCataniaが一度も会話しない点も、表面的には不自然に見えます。CataniaはCydonia Massacreと深い関わりを持つため、Ledaとの会話を期待するプレイヤーがいてもおかしくありません。しかし、原文筆者は「なぜ話さないのか」ではなく、「なぜ話す必要があるのか」と考えています。
CataniaはLedaより6歳年上で、騎士の家系に生まれました。一方のLedaは幼少期の多くをKallaの寺院で過ごし、Kassiteから離れていました。CataniaがLedaを知っていたのか、あるいは20年後に別人のような旅の殺人吟遊詩人となった彼女を見て、同一人物だと気づけるのかも明らかではありません。
さらに、Cataniaは自分のために名誉ある人生を築き、立派な君主に仕えようとしています。対するLedaは指名手配中の犯罪者であり、父親への中傷によって本当の身分まで汚されている人物です。2人が親しくなる展開は想像しにくく、会話をさせても、それぞれの人物について新しい情報を示せるとは限りません。CataniaとLysanderの支援会話のほうが彼女の価値観に沿っており、月ごとの会話ではIoに対する不満も描かれています。ここにさらに中身の薄い会話を加える必要はない、というのが原文筆者の判断です。
この見方は、ほかの一見すると奇妙に短い支援関係にも当てはまります。Anatoliaが主に別のWhite Eggの人物と会話するのも、彼女の置かれた状況を考えれば理解できます。事情を知る人物なら、一般的なDagdan市民に話しかけることへ強い不安を抱いていても不思議ではありません。支援相手が少ないこと自体が、その人物の孤立や警戒心を表現している場合もあります。
Nuzzuoの短い支援が示すもの
Nuzzuoは、Balorを崇拝する部族の元指導者という興味深い過去を持ちながら、支援会話はDiegoとのCランク会話1つだけです。会話数の少なさだけを見れば、掘り下げ不足に感じられるかもしれません。しかしNuzzuoの所属するHar Haliは恐れられており、部族自体も外部との接触を避けています。しかもBalorを地獄の主として崇めているという事情まであります。DagsionにいるHar HaliはDiegoだけであり、Nuzzuoが多くの人物と親しく話さないのは、設定から自然に導かれる結果とも考えられます。
Diegoとの会話をもっと長くしてほしいという期待は理解できるものの、そこで明らかになる内容は限られます。Diegoの両親が彼を勘当し、彼がOrchel以外に頼れる相手もいないという事実を、別の形で繰り返すことになる可能性が高いからです。Nuzzuoが、どうせそうなると恐れ、確信していること自体が、彼の置かれた状況を十分に伝えています。
もちろん、Nuzzuoが突然影から現れるため、人々に嫌がられていると知って驚く月ごとの会話などは、支援会話にしても成立したでしょう。怖がりの道化師HalvinやPeterとの組み合わせなら、恐怖を利用したコメディーにもできます。ただし、その展開は「大柄で不器用な怖い人物が、怯える子どもたちを守る存在になる」という、お決まりの流れに落ち着く可能性があります。面白く見えても、人物の核心に迫る会話とは限りません。
一方で、PeterがNinaeを怖がっていることを入り口に、彼女が抱える秘密の悲しみや孤独を描くほうが、予想外の人物像を示せます。原文筆者は、Ninaeとの最初の会話によって彼女への見方が大きく変わったと述べています。こうした会話こそ、単なる交流相手の多さでは測れない支援会話の価値だとしています。
数ではなく内容を評価する設計
原文筆者は、Intelligent Systemsがこのキャラクター描写の方針を事前にもっと宣伝してもよかったのではないかと考えています。実際には、発売後の反応を見るかぎり、支援会話の組み合わせを確認する段階で不満を抱く人が出ることは予想できたとのことです。
ただし、実際の会話を読み進めれば、相手の数だけでは分からない設計意図が見えてくる可能性があります。酒をやめ、養弟に本を買うためのお金を使っているGoliathの例も、その一つです。彼に酒を贈っても喜ばれませんが、本を贈ると、好物ではないにもかかわらず喜びます。大食漢で本を読まなそうな巨漢という第一印象の裏に、養弟を思う人物像があり、贈り物への反応にもその背景が反映されています。
このように、ささいな設定を性格や役割に結びつけることを優先するなら、全員が恋愛や会話の相手を幅広く持つ必要はありません。原文筆者は、支援会話の扱いによって本作はより良いゲームになっており、この方針がシリーズの新しい流れの始まりになることを期待しています。