『Grand Theft Auto』がオープンワールドになったきっかけは「メニューを作りたくなかった」こと
初代『Grand Theft Auto』は、当初はミッションをメニューから選ぶ一本道のゲームとして構想されていました。開発チームがメニュー画面を作りたくなかったことが、オープンワールド形式につながったと開発者が振り返っています。
ミッション選択式から、電話で始まる世界へ
スコットランドのダンディーで開かれたGames Day 2026のパネルに、DMA Designの開発者たちが登壇し、初代『Grand Theft Auto』の制作を振り返りました。クリエイティブディレクターのGary Pennによると、初期のゲームはかなり直線的で、プレイヤーがメニューからミッションを選ぶ形式でした。
これに対してリードプログラマーのKeith Hamiltonは、会場の笑いを誘いながら「オープンワールドになったのは、フロントエンドを作りたくなかったからです。レベルを始めれば、そのままゲームが続いていく形にしました」と説明しました。
ミッションを選ぶメニューの代わりに、電話に出ることで依頼を受ける仕組みを採用しました。電話を好きな順番で受けられる発想の元になったのは、映画『ダイ・ハード3』です。Pennは、ミッションがゲーム世界に自然に溶け込み、「まったく違うゲーム、違う体験になった」と語っています。
開発の試行錯誤から生まれた仕掛け
ラジオ局のアイデアは、ゲームに合う音楽の方向性を探るため、さまざまなジャンルの30秒ほどの曲を作ったことから生まれました。曲をジャンルごとに分ければ、どれもゲームに残せると考えたそうです。当初は、発売元の音楽会社BMGの楽曲を無料で使えると思っていましたが、費用が非常に高くつくと分かり、録音スタジオを借りてオリジナル曲を制作しました。
警察無線で流れる「北西地区ハックンラッシュで1014」といったコードは、ゲーム内の犯罪を管理する実際の内部リストから取られています。プレイヤーが犯罪を起こすと、その内容がリアルタイムで無線に流れる仕組みでした。警察が呼ばれると、警官は実際に警察署を出てプレイヤーのいる場所まで移動します。プレイヤーには分からない部分にも、こうした細かなシミュレーションが用意されていました。
信号機も、きちんと順番に切り替わるよう作られていました。Hamiltonは、そこまで手をかけたのに信号で止まる人は自分だけだったと冗談を交えて話しています。また、車には進行方向を示すウインカーを付ける案もありました。後のThe Getawayのような仕組みを試しましたが、車が損傷すると機能しなくなるため、「もういい、くそっ。大きな黄色い矢印を置こう」と判断したそうです。
新しい仕掛けの多くは、機能を試すうちにアイデアが膨らむ形で生まれました。たとえば、誰かが車にひかれると救急車が来る仕組みを作った後、救急車を奪えるようにし、さらにサイレンを鳴らせるようにしました。サイレンを鳴らせば周囲の車が道を譲る、という仕掛けも加わりました。
競合作品や発売先をめぐる裏話
チームは、3Dの世界を持つPS1用ソフトDriverの見た目が、自作ゲームより大きく見劣りすることを心配していました。そこで、以前Lemmingsで行った方法にならい、遊べるデモを用意。デモはOfficial PlayStation Magazineに収録され、実際に遊んでもらうことでプレイヤーの支持を得ました。
任天堂がゲームを採用しないと決めたとき、開発チームは内心ほっとしていたそうです。CDの音楽を使えない環境で、ラジオ局をどう実現するか考えずに済んだからです。一方、DMAの共同創業者Dave Jonesによると、数年後に宮本茂と話した際、宮本はNintendo 64版の承認をめぐって「採用しておけばよかったかもしれない」と冗談を言ったといいます。