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『GTA 3』の開発はDreamcastの技術デモから始まった、アートディレクターが語る3D化への挑戦

2026年10月22日 | #ゲーム紹介 | GamesRadar+

『GTA 3』の開発はDreamcastの技術デモから始まった、アートディレクターが語る3D化への挑戦

『グランド・セフト・オート3』(GTA 3)は、Dreamcast上の小さな技術デモから生まれた作品だったと、Rockstar North共同スタジオヘッド兼アートディレクターのAaron Garbut氏が語っています。当時の開発チームは若く経験も浅かったものの、密度の高い3Dの都市を一つの体験として成立させようと取り組みました。本記事では、同氏の証言をもとに、シリーズの土台となった開発の舞台裏を紹介します。

社内の懐疑論を覆した技術デモ

GTAの開発元DMA Designは、10年を過ごしたダンディーからエディンバラの新オフィスへ移ったところでした。1990年代の終わりで、ゲーム業界全体が3Dへ移行しつつあった時期です。初期の3D作品『Body Harvest』を手がけた若いチームは、GTAでも同じことができると考えていました。

一方、スタジオの古参メンバーは懐疑的でした。『GTA 2』でカメラを少し傾ける実験はしていたものの、プレイヤーが好きな方向へ猛スピードで走り回れる都市のシミュレーションを3Dで実現できるのか、確信が持てなかったのです。

「彼らからは多少の反発がありました」とGarbut氏は振り返ります。そこでチームは、車が走り、人が歩く都市環境の技術デモをDreamcastで作りました。数週間かけて、車を盗んで運転できるところまで動かし、Sam Houser氏に見せたといいます。

Houser氏は、Take-Twoがニューヨークに立ち上げた新レーベル、Rockstar Gamesのエグゼクティブプロデューサーでした。GTAを初期から支え、犯罪や逸脱を取り込むチームの姿勢を後押ししてきた人物で、シリーズが次の一歩を踏み出すことにも前向きでした。Garbut氏は「Samは常にプレイヤーの声でいてくれました。さらに先へ進み、リスクを取り、毎回最高の作品を目指して妥協しないよう促してくれました」と語ります。

基本的な内容のデモでしたが、チームはこれに奮い立ちました。「3Dでやれることは分かっていましたし、簡単でわくわくすると感じてしまうくらいに、若く、傲慢で、世間知らずでした」と同氏は述べています。最初に取り組んだのは、遊び道具と遊び場を作ること、つまり生き生きと息づく都市を機能する世界として作り上げることでした。

前作までから引き継いだのは、悪党のために働く犯罪者というアンチヒーローの設定でした。電話越しとはいえ複数の依頼人がいる構造や、指名手配レベル、その対となるPay And Spray(車の塗り直し店)もすでにあり、土台となる形は揃っていたのです。

アーケード的な要素を捨て、都市の密度を追求

一方で、チームは従来のアーケード的な要素をあえて退けました。破壊に応じて加算されるポイントを、Garbut氏は「ピンボールのスコア」と表現しています。没入感のある3D世界には合わないと判断され、代わりに3Dカメラがもたらす映画的な感覚や感情的なつながりに重心が置かれました。「続編として取り組んだわけではありません。以前のGTAのやり方を忠実になぞることはせず、あまり参照もせず、大づかみに作っていきました」と同氏は話しています。

開発上の大きな課題は、今のオープンワールドでは当たり前になっている基本部分でした。当時、人口密度の高い都市環境を扱う同時代の作品はなかったといいます。

Garbut氏によれば、都市を舞台にしたドライビングゲームはあっても、高速移動を前提としており、世界との相互作用は多くありませんでした。『ゼルダ』のように密度の高い作品もありましたが、それは何もない空間と密度の高いダンジョンに分けて作られていました。

「私たちは、扱いやすい読み込み単位に分けることも、空白のエリアで間延びさせることもしませんでした。高速移動でしか成立しない設計にも、狭い範囲を徒歩で細かく探索するだけの設計にもしませんでした。そのすべてを一つの体験として提供し、できる限り生き生きと感じられるようにしようとしたのです」(Garbut氏)

手作業で分割した世界と、DVDへの書き込み順

プレイヤーは、視界の外で世界が次々に読み込まれていく仕組みに驚かされました。まれに壁の表示が間に合わず、車のボンネットが引き剥がされることもありましたが、Garbut氏は今もこの仕組みに強い誇りを持っています。

「アートチームは、メモリにできるだけ多く詰め込みつつ、ドライブから素早く読み出せるように、世界を手作業で最適な形に分割しました。コードチームは優れたストリーミングシステムを作り、世界の近いエリア同士がディスク上でも物理的にまとまるよう、DVDへのファイルの書き込み順まで細かく調整しました」と同氏は説明します。

これは大きな賭けでしたが、結果は成功でした。リバティーシティは、陰鬱な湾や人通りの多い街路まで遠くまで描画され、長いロード画面もありませんでした。プレイヤーの周囲がメモリに収まり、DVDから十分な速さで読み出せる限り、作りたいものを作れるようになり、規模やディテールの制約が大きく取り払われたといいます。

生きた世界を維持する作業は、救急チームのようなものでした。「すぐそこで玉突き事故が起きて爆発しているときに、重要なミッションを進行させていても処理が破綻しないようにしなければなりません。目に見えるものだけでなく、混沌と、互いに競合する複数のシステムをどう管理するかが肝心です」と同氏は述べています。

世界の次に作ったのは車

GTA 3の開発手法は、現在のRockstar Northにも受け継がれています。まず場所を作り、そこが住める状態になったら、次の層である遊び道具に進むというものです。GTA 3における遊び道具は車で、プレイヤーが最も長く触れる要素でした。

「これらの乗り物を通して世界が生き生きとしてくるのを見たとき、全体がまとまり始めたと感じたのを覚えています」とGarbut氏は話します。長く議論してきた機能が、粗い状態でも目を細めればそこにある、というビルドが届くことがあり、そのたびに世界が変わるといいます。GTA 3はそうしたことが頻繁に起きるプロジェクトだったそうです。

車の追加でゲームは大きく良くなりました。浮遊感と迫力を併せ持つ物理挙動のおかげで、リバティーシティでの何でもない時間さえ引き込まれるものになりました。「当時は、車が物理的に挙動するのは普通ではありませんでした。車を滑らせたり、縁石でサスペンションが弾むのを眺めたりして、何時間も過ごしたのを覚えています。トラックやスポーツカーなどで調整の違いが出るのも刺激的でした。必要な遊び道具が揃ったと感じました」(Garbut氏)

同氏は、ゲーム作りの過程、とりわけ燃える車1台が連鎖的な爆発を呼び、最後には警察のヘリコプターが墜落するような、驚くべきことが次々と生まれる瞬間を愛しているようです。「あるチームの仕事が次のチームを動かし、押し進めます。創造性の素晴らしい渦です」と語っています。

写真と映画から作った、グレーなニューヨーク

アートチームにとって、広大な3Dの都市は自分たちのニューヨーク像を描くキャンバスでした。ただしそれは、プロデューサーたちが暮らす実在の街ではなく、遠く離れた場所から組み立てた半ば架空の街でした。

「当時、私はニューヨークに数回行っただけでした。スタジオには最初インターネットもなく、Google Mapsもありませんでした。数人で旅行したときに撮った35mmの写真が入った小さな箱があるだけでした」とGarbut氏は振り返ります。

参考資料の中心は古い映画やテレビでした。リバティーシティが描いたのは華やかさではなく、濡れた通り、灰色のコンクリート、暗い水、ゴミといった都市生活の陰鬱な日常です。ディテールではなくムードを捉えるこの方向性は、PS2の限られた表現力にも合っていました。

「汚れや雨、天候に寄せたいと考えていました。動的な天候システムと時間帯の導入も決めており、それも生かされました。私たちが持っていた物語やキャラクター、そして画面越しに見て育った私たちにとってのニューヨークの姿に、しっくりきたのです」(Garbut氏)

記事では、GTAシリーズの戯画的な風刺、つまり長らくアメリカをゆがんだ視点から見つめてきた姿勢は、この物理的・批評的な距離に由来する可能性が高いと指摘しています。同氏も「最初のGTA 3から、現実よりも、作っている場所の印象を作ることに重きを置いていました」と述べ、当時はデジタルでのつながりがはるかに少なかったため、テレビや映画で知るアメリカに頼らざるを得なかったと説明します。誇張された印象や場所の空気感を描くことで、選択肢も、ある面ではコントロールも増え、結果的に良かったと考えているそうです。

物語の語り方も、当時から大きく進化しました。昨年のライターDan Houser氏の退社は、同社にとって大きな痛手に感じられたと記事は伝えています。それでも、スコセッシ風のドラマが大ざっぱで馬鹿馬鹿しいものだったとしても、役割は果たしたといいます。

「今の作り方に比べればとても単純です。洗練はありませんが、魅力と一貫性があります。あの作品がやったことを誇りに思っています。多くのことを理解でき、何を改善できるかも学べて、『Vice City』ではすでにその道に乗っていました。無口な主人公のように、早い段階で離れた選択もありましたが、見直して前進することは常に得意だったと思います」と同氏は語っています。

今も続くGTA 3の土台

Claude(クロード)とCatalina(カタリナ)の物語は一つの青写真となり、GTA 3全体もそうでした。現在のGTA Onlineにも、この灰色の奇妙なゲームにたどれない要素はほとんどないと記事は述べています。土台がしっかりしていたからこそ、続編は1年後に高い評価を受けて発売されました。Vice Cityを史上最も成功したスキン替えと見る向きもありますが、Garbut氏率いるアートチームが的確な衣装と色付きの照明で1980年代を描き出した力を軽んじる言い方だと、記事は指摘しています。

「私たちはGTA 3で歩み始めた道の上に築いています。あのゲームを土台に、今日まで毎日進化させています。長年一緒に働くことでしか得られない、再現不可能な経験や専門性があります。一緒に働く人を知り、それぞれが何を知り、何をもたらすかを知り、その力を最大限に引き出せるということです」(Garbut氏)

Garbut氏は美術大学でファインアートを学び、絵画や彫刻では大まかな構造を先に正しく作り、その上で磨き込んでいくことを学んだそうです。GTA 3もその考え方で捉えています。

「『目を細めればほぼ完成して見える』という考え方です。ゲームの世界づくりにも、ゲームそのものにも、いつもそう取り組んできました。GTA 3は当時できる限り仕上げた作品でしたが、今の水準では単純で粗いものです。ディテールも奥行きも洗練度も、今作っている複雑なシステムの相互作用も、驚くほど進歩しました。それでも目を細めれば、今も私たちが築いている土台であり、そのことを愛しています」(Garbut氏)