発売25年の『GTA 3』、PS2の32MBメモリで約130MBのデータを扱った技術が今も際立つ
2026年10月23日 | #ゲーム紹介 | Polygon
2001年10月に発売された『グランド・セフト・オート3』(GTA 3)は、3Dオープンワールドの可能性を大きく広げた作品です。Polygonは発売から25年を迎えた本作を振り返り、技術、物語、音楽、コメディ、そして発売時期の背景から、今なおオープンワールドの意欲的な実験として際立つ理由を論じています。筆者は、当時の店頭で『Silent Hill 2』を買うつもりだったところ、店員に本作を勧められて持ち帰ったという自身の思い出から語り始めています。
不可能と思われた世界を、ほぼロードなしで実現
『GTA 3』の舞台は、Rockstar共同創業者のダン・ハウザーが「古いポストインダストリアルのアメリカの都市」と表現したリバティーシティです。シカゴ、ピッツバーグ、デトロイト、フィラデルフィア、そして主にニューヨークを混ぜ合わせた街で、薄暗い路地や人通りの多い通り、空を切り取るような高層ビルが広がります。筆者は、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『Driver』など、それ以前の優れた世界をしのぐ作品だったと述べています。
強い縦方向の広がりを持ちながら、住人や環境がプレイヤーに直接反応する生きた生態系のような3D世界は、当時の多くの人が既存のハードでは不可能と考えていたものでした。それをRockstarは、ほとんどロード時間なしで実現しています。
この世界を支えたのが、PS2の限界まで挑んだ技術です。開発を担ったDMA Design(現Rockstar North)は、3Dアニメーション、テクスチャ、モデル、音声を含む約130MBのデータを、PS2のシステムRAM 32MBの中で巧みにストリーミングする必要がありました。リバティーシティの島ひとつだけで、静的なジオメトリが約50MBに達したといいます。
そこでチームは、プレイヤーの進行方向のマップを先読みして読み込み、背後の街を破棄する動的ストリーミングの仕組みを作りました。高速で走行中に急に後ろを振り返ると、街が目の前で現れるように見えることがあるのはこのためです。コードだけでは埋められない部分は、スポーツカーを減速させるカーブした道路、ディスクの読み取りを車が追い越さないようにするための軽い空気抵抗、同時に動く交通量を8台に抑える上限といった工夫で補いました。技術面を率いたアダム・ファウラーやオッベ・フェルメイらの成果を、筆者は「魔法」と呼んでいます。
自由と物語を両立させた「ハブ」構造
乗り越えるべき壁は技術だけではありませんでした。ダン・ハウザーは、非線形な設計ゆえに物語の推進力が弱いと感じていた『GTA 2』を受けて、『GTA 3』にはより複雑なストーリーを持たせようとしました。共同脚本のジェームズ・ウォラルと作り上げたのが、ミッションの依頼人となるキャラクターを地域ごとに配置する「ハブ」構造です。ジョーイ・レオーネ、トニ・シプリアーニ、サルバトーレ・レオーネらがその例にあたります。
ハウザーは、オープンワールドの自由とストーリーの進行を対立するものとして扱わず、ミッションの流れを特定の縄張りや抗争に結びつけました。これにより、プレイヤーは物語を進めながら街の構造や仕組みを自然に学べます。ポートランドの工業地区ではトニと、レオーネ一家の犯罪組織ではサルバトーレと関わり、やがてスタントン島の政治腐敗や企業の裏側へと足を踏み入れていきます。新たな依頼人に出会うたびに主人公のClaudeは犯罪の世界へ深く入り込み、新しい地域が開放されると同時に、街の裏社会のつながりも一層明らかになります。主人公を無口にした判断と合わせ、この構造は、まとまりのある犯罪劇の勢いを保ちつつ、プレイヤーが自分の道筋を選べるようにしたと筆者は評価しています。
偽名バンドが作ったラジオの世界
ラジオ局も、本作の没入感を高めた要素です。ただし、Rockstarが有名アーティストに大金を投じられるようになる前の本作では、完全オリジナルの楽曲で乗り切る必要がありました。オーディオディレクターのクレイグ・コナーとスチュアート・ロスを中心に、チームは「Lucy」「The Mudds」「Marydances」「Da Shootaz」などの別名義で、ジャンルごとの楽曲を書き下ろして録音しています。
ロスとコナーは、『ザ・ソプラノズ』や『グッドフェローズ』に着想を得た、陰影のある「ダークジャズ」調のメインテーマも手がけました。筆者は、これが今もシリーズ屈指の1曲だとしています。アンダーグラウンドのヒップホップ、ドラムンベース、ジョルジオ・モロダーによる『スカーフェイス』のスコアのライセンス曲などを組み合わせ、リバティーシティの荒々しいリアリティを音で表現しました。筆者は、フランスの電子音楽デュオJusticeがオリジナルのスコアを手がける『GTA 6』に、その精神的な後継の姿を見ています。道具は変わっても、オリジナルの音楽が架空の都市に独自の個性を与えるという考え方は同じだという見方です。
Chatterbox FMが与えた生活感
ラジオ局をさらに引き上げたのが、まだ黎明期ながらシリーズらしいコメディを体現したトーク局のChatterbox FMです。ハウザーが脚本を書き、ラズロー・ジョーンズが司会を務めたこの局では、不条理なリスナーの愚痴や『SNL』風のCMパロディが流れ、車を降りて街に出る前から、リバティーシティに生活感を与えていました。
わかりやすい例が、初めて電話をかけてきた母親が、ビデオゲーム時代の子育てについて嘆く場面です。「うちの子にビデオゲームをやらせたら、金貨を探して家中を走り回るようになりました。これでは子どもたちにお金を追いかけさせることになります!」。筆者の個人的なお気に入りは、いかにも田舎者らしい人物が「銃が人を殺すんじゃない、死が人を殺すんだ」と熱弁するくだりです。この人物は「弾丸で死ぬことはない。心停止や臓器不全、大出血で死ぬんだ。小さな金属片は問題じゃない」と続けます。Chatterboxが今もシリーズで最も笑えて風刺の効いた文章のひとつと広く見なされているのは当然だと筆者は述べ、『GTA 6』がこの笑いに並ぶことを期待しています。
同時多発テロ直後という時代の記録
『GTA 3』は、9.11の同時多発テロからわずか41日後に発売された点でも、特異な時代の記録になっています。Rockstarは数週間発売を延期し、テロに言及するセリフとミッションを丁寧に取り除きました。街のパトカーも、NYPDに似た青白の車両から、一般的な白黒の車両に変更されています。北米では当初のパッケージアートも破棄され、その後シリーズ全作のカバーを飾る、今では象徴的なグリッド状のレイアウトが生まれました。
筆者は、こうした表面的な変更を超えて、本作が惨事の後に現実離れした重みを帯びたと振り返ります。ハドソン川を挟んだニュージャージーで育った筆者にとって、あのテロは人生の切り離せない一部であり、当時の混乱の多くはぼんやりとしか覚えていないものの、壊滅的な出来事の影の下でリバティーシティを走り続けた長い夜は忘れられないといいます。暗く雨の降る通りを走る体験は胸を締めつけるほど切なく、現実の世界が突然痛みとともに止まったときに、デジタルのニューヨークが生命力にあふれていたと語っています。
花盛りの年に登場した、比類なき一作
『GTA 3』は、ゲーム業界が盛り上がっていた時期に、顔面へ叩き込まれたバットのような衝撃だったと筆者は表現しています。同じ2001年には『Ico』『Silent Hill 2』『Halo: Combat Evolved』『Final Fantasy 10』『Metal Gear Solid 2』も登場しました。そうした名作ぞろいの中でも、洗練された世界設計と独自の物語の仕組みを結びつけた『GTA 3』のスケールは比類がなく、ゲームのあり方を永遠に変えたというのが筆者の評価です。
サム・ハウザーは2001年にIGNに対し、「これまでのゲームで見たことのない形で独自の個性を持っていて、それが実際にゲーム体験の一部になるほどだ」と語っていました。筆者は、この「個性」こそがグランド・セフト・オートを世界屈指の魅力的なエンターテインメントにしてきたもので、『GTA 3』はその個性が本当に開花した作品だとまとめています。Rockstarの次のオープンワールド作品が迫る25年後の今も、リバティーシティは、野心と巧みな設計がメディア全体を根本から変えうることを示し続けていると結んでいます。