GamesRadar+、『Cyberpunk: Edgerunners 2』とResident Evil新作映画の例から「ゲーム原作の映像化はキャラクターより世界観を生かすべき」と主張
2026年10月20日 | #その他 | GamesRadar+
GamesRadar+のコラムは、Netflixの『Cyberpunk: Edgerunners 2』とZach Cregger監督のResident Evil映画を例に、ゲーム原作の映像化では「キャラクター」よりも「世界観」を土台にした作品の方が成功しやすいと論じています。いずれも原作の舞台を生かしつつ新しい登場人物で物語を描いており、筆者はこれを今後の映像化の指針になるとみています。
世界観を借りて新しい物語を描く
コラムによると、『Cyberpunk: Edgerunners 2』は『Cyberpunk 2077』のナイトシティを、Resident Evil映画はラクーンシティを舞台にしています。どちらも原作の設定や状況を踏まえたうえで新キャラクターを配置し、原作の雰囲気を保ちながら新しい物語を語っているといいます。
筆者は、ゲーム原作の映像化で一般的に見られるやり方とは異なると指摘しています。たとえば2026年の『Return to Silent Hill』は『Silent Hill 2』をほぼそのままなぞった内容ですが、Rotten Tomatoesのスコアは18%にとどまり、「何かが翻訳の過程で失われた」と筆者はみています。Paul W.S. Anderson監督によるResident Evilの一連の映画は、その突き抜けた荒唐無稽さからカルト的な人気を得ました。ただ、『Return to Raccoon City』のような最近の映画作品と並べると、今ではより好意的に振り返られているそうです。『The Witcher』のドラマは、Henry Cavillがゲームと原作小説を愛していたことで一定の成功を収めたものの、Cavillがゲラルト役を離れてからは評価が分かれていると述べています。
ファンの期待と、設定が決めてくれる枠組み
筆者は、こうした差の大きな要因を、観客の期待と現実のずれにあるとしています。ゲームには強い印象を残すキャラクターが多く、プレイヤーは特定の視点を通じて彼らを知っています。別媒体で顔や声、物語を変えて登場させると、すでに比較対象があるため難しくなるという見方です。
『Edgerunners 2』と2026年のResident Evil映画の制作陣は、この点を理解していると筆者は評価しています。どちらも、ファンになじみのある場所や象徴的な要素、状況を盛り込んでいます。『Edgerunners』では、『Cyberpunk 2077』で通話時に表示されるのと同じHUDまで登場します。それでいて新規の視聴者を置き去りにしていないとのことです。
また、作り込まれた世界に新しいキャラクターを書き込めば、そこで起こせる出来事の範囲が自然に定まります。原作ゲームの正史を書き換えてしまう心配も避けられます。筆者は、納得できる舞台の中で関連する物語を語れることが、両作品にとって大きな強みになったと述べています。筆者はさらに、ZeldaやGod of Warの映画化の監督たちがこの点を参考にしてほしいとも書いています。
ゲームと映像作品が互いに影響し合う
コラムは、新たな物語を既存の世界に加えた両作品が、正史を広げる存在としてゲーマーにも開発者にも受け入れられていると指摘します。
『Cyberpunk 2077』の開発元であるCD Projekt Redは、『Edgerunners』をゲーム側の正史に取り込むため、アニメのキャラクターや出来事に関連する新アイテム、音楽、ミッションの連なりを追加しました。Resident Evil映画は、サバイバルホラーゲームをプレイする「体験」を描いた作品です。この映画をファンがPS1時代風の固定カメラのゲームに作り直したことで、メタ的な皮肉がさらに一層加わったと筆者は書いています。
筆者は、ゲームと映像化作品が同じ空気を奪い合わなければ、互いに交わる形はさまざまにあると述べています。適切な部分を映像化し、既存の要素を作り替えるのではなく価値や層を足していけば、映像化は難しくないという結論です。
コラムは最後に、Resident Evil映画への注目の高まりと『Edgerunners 2』の好意的な評価が、2026年のゲーム映像化の新たな基準になりつつあると総括しています。各媒体の強みと弱みを理解し、物語の再解釈をめぐる議論を避けたこれらの作品は、ゲームの世界観がキャラクターよりはるかに柔軟であることを示していると筆者は主張しています。